「文藝春秋」2月号よりANAホールディングス社長の片野坂真哉氏による「ANAコロナ戦記」を全文公開します。(全2回の1回目/後編に続く)
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佐賀県に出向した社員たち
先日、鹿児島銀行で講演をさせていただいたのですが、会長、頭取と本店の新社屋の最上階ラウンジで焼酎での懇親の場を設けていただき、ANAグループから出向中のキャビンアテンダント(CA)と営業職2名も同席させていただく機会がありました。いきいきと働いているようで、受け入れていただいた有難さを感じると同時にホッとしました。
このコロナ禍でCAを含めANAの社員が自治体や異業種の会社で働くことになり、テレビでも大きく取り上げられたので、覚えておられる方も多いと思います。
佐賀県に出向した社員たちからは、「知事の誕生日にお祝いビデオを送りたいので、社長も最後に何か言ってください」と連絡がありました。別の会社に行った社員から、「出向先で良い経験が出来たので、戻ってから活かしたい」と前向きな声も聞こえてきました。
ヘッドハンティングのような電話も
出向先からは、「新しい取り組みを提案してくれた」といううれしいお知らせも聞きましたし、ある会社のトップからは、「今後も営業で使いたいから兼務にできませんか」と半ばヘッドハンティングのような電話をいただきました。さすがにANAにとっても大事な人材ですので、「それは困ります。お返しください」と丁重にお断りしましたが(笑)。
最初は、会社から社員を送り出すことに可哀想だという気持ちもありました。彼らは航空業界を夢見てANAに入社したわけですから、急な出向に不満を持つ人も多かったはずです。しかし、どんな機会も受け止め方次第です。出向者には、必ず戻って来てもらうから、それまでに何か学んで帰ってきてほしいと願っています。
私は2004年から5年間、人事部長を経験しました。人事の難しさを痛感したのは、異動の内示のたびに、喜ぶ人がいる一方で、必ずがっかりする人がいるという事です。人事部長の立場だと、この人は喜んでいるだろうなとか、あの人はがっかりだろうなと想像がつくのです。私は、傘の両端に雨が流れていくことにたとえて「アンブレラ」と呼んでいました。しかし会社全体のためには、アンブレラができるのもやむを得ません。