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「この無礼者と叱られただろうね」自分の娘を犠牲にしても“縁談”で国に尽くした伊都子妃が憤慨した“皇族の恋愛結婚”

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「皇族の結婚」をめぐっては、さまざまな愛憎劇が繰り広げられてきた。『李王家の縁談』を上梓した林真理子さんと、歴史学者・静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんが「皇室結婚史」について語り合った、「文藝春秋」2021年4月号掲載の対談を公開する。(全2回の1回目/後編に続く)

(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)

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皇族の結婚をめぐる一つの物語

 ご無沙汰しています。今回はZoomですが、小田部先生には連載が始まる前お目にかかり、小説の題材となった梨本宮伊都子(なしもとのみやいつこ)妃を中心にいろいろ教えていただきました。

李王家の縁談』(文藝春秋)

小田部 「李王家の縁談」の連載も、とうとう最終回を迎えられたのですね。1年4か月もの間、おつかれさまでした。毎号とても興味深く拝読していました。私は歴史学者として皇室を中心に長く近現代史を研究していますが、研究者というのは動物でいうところの骨格や化石だけを調べるんです。でも林先生の小説を拝読していると、作家の仕事は、その骨格や化石をもとにまだ明らかになっていない部分まで想像力で肉付けしていく、要は、一つの動物を作り上げることなんだと感じました。

 ありがとうございます。昨夜かなりぎりぎりで最終回を書き終えたばかりで、ひとまずほっとしています(笑)。先生のご著書『梨本宮伊都子妃の日記』がなければ、とてもこの小説は書けませんでした。

小田部 こちらこそ使っていただいてありがとうございます。伊都子は77年と6か月もの間、ほとんど毎日欠かさず書き留めていますから面白いですよね。今でいう“書き魔”だったのでしょうが(笑)、日本が日露戦争や第一次世界大戦を経て強国となり、日中戦争、太平洋戦争等を経験、一転敗戦国として復興へと歩む様子を、華族、皇族、そして一市民となった立場から記録し続けているんです。明治、大正、昭和と3代にわたる皇室を最も近くで見てきた者の生の声という、非常に貴重な資料です。

 これまで、伊都子の長女方子(まさこ)なら方子、姪で皇室に嫁いだ勢津子(せつこ)なら勢津子というように一つ一つの結婚が描かれることはありました。けれど、それを伊都子という一人の女性の視点を通して結び付け、皇族の結婚をめぐる一つの物語にしているのが「李王家の縁談」の面白いところですよね。

結婚後の両親の呼び方

梨本宮伊都子妃(左)と娘たち

 ありがとうございます。伊都子は侯爵家に生まれ皇族に嫁ぎましたが、自らの立場への意識が人一倍強いですよね。

小田部 彼女の日記を読んでいて面白いのが、結婚後の両親の呼び方。それまでは「御両親様」と書いているのですが、結婚してからは「直大様」、「鍋島御夫妻」と書くようになる。実の両親を、ですよ。娘といえど、皇族に嫁いだ自分の方が身分が上だという意識があるんでしょう。いろいろ思い悩んだのか、すぐに、「御両親様」に戻っているのですが(笑)。皇族としての強い自覚がうかがえます。