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40歳で通信制大学を卒業した中江有里が思い出す児玉清さんの言葉「人間は50から。そこから努力した人が伸びる」

「文藝春秋」1月号「小さな大物」より

source : 文藝春秋

genre : エンタメ, 芸能

 15歳で芸能界デビューしてから女優はもちろん、脚本家、作家、書評家としても活動の幅をひろげ、ひとつずつ夢をかなえてきた中江有里さん。内向的だった幼少期、4つの高校を転校し卒業したアイドル時代、本がライフワークだと気づいたNHK-BS「週刊ブックレビュー」。「自分は、ウサギではなくカメ」という中江さんに、これまでの人生の転機を伺いました。(「文藝春秋」2022年1月号より)

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すごく無口な子だと思われていた

 本好きになったきっかけは、まだ小学校に上がる前に、お医者さんの待合室で見たマリー・ホール・エッツの『わたしとあそんで』という絵本です。「遊んで」とは言えない内向的な子だったから心に残ったんでしょうね。何度も繰り返し読みました。

 小さい頃から、本を読んだり、ストーリーを考えてひとりでおままごとをしたり、ひとり遊びが大好きでした。頭の中ではいろいろ考えていて、言葉はいっぱいあるのですが、それをあえて外には出さなかったので、すごく無口な子だと思われていました。

生後5か月。一昨年亡くなった母と。「病気になるまで、母はずっと働き詰めでした」
4歳。4つ下の妹と

早く社会に出て家計を助けたい

 小学校4年生の時に両親が離婚することになり、父と母のどちらと暮らすかという選択を迫られました。あまりに母が憔悴していたので、母のもとにいて支えなければ、と母を選んだのですが、4歳下の妹とも離れたくない。妹も一緒に引き取ってと母に頼み、結果的に母には負担を強いてしまったのですが、今でも妹とは強い絆で結ばれています。

 離婚してからは、母が、早朝に仕事に出てしまうので、私が妹を起こして食事をさせ学校に送り出して自分も学校に行くという日々でした。そんな中で自然に無邪気な子どものままではいられなくなり、自分の欲求を言う前に、相手が、大変なのかなとか忙しいのかなと考えてしまう癖がついて……。自分でも驚くくらい、反抗期もなかったですね。

 叔母のすすめでオーディションを受けるようになり、15歳で芸能界入りを決めたのも、早く社会に出て家計を助けたかったから。当時、鎌田敏夫さんの「男女7人夏物語」などのドラマが大好きで、脚本家にも憧れていたのですが、芸能界に入れば、同じ「表現」の世界だから道が開けるかも……という思いもありました。