昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2022/02/02

 その結果は月末にわかると言う事で結果を待ったが、その期間の不安は丁度はるか以前あのマリアナの孤島で待ちきれずに焦って船からボートに移る時転んで背中を打ち痛みを堪えながら背骨の骨折を案じながら七日かかってグアム島のアメリカの海軍病院にたどり着くまでの不安に酷似していた。背骨の骨折も致命的だが膵臓の影は場所からして厄介な癌の恐れが優にある。

 診断の結果が告知される月末までの私の心境はあの以前の絶海の孤島での転落事故の結果を痛みを堪えながら待ち受けた時のそれと酷似していた。

 膵臓の検査の結果の黒白はことに依ったら私の人生を支配しかねまい。八十七の高齢でも私なりにこれからの余生でライフワークとしての仕事の計画もあり、それがおぼつかなくなったら私の人生の終焉ともなりかねまい。

まさに丁か半か

 病理検査の結果を待つ心境は何か大きな博打の結果を見守るような心境だった。

 そんな時私が思い出したのは以前ある博打打ちから聞いた妙な文句だった。

 あれは私が後に篠田監督によって映画化され好評を博した『乾いた花』という作品を書くために見たことのない実際の潜りの博打場を眺めたくて県警の知り合いの刑事に頼んだら、なんと私の住んでいた逗子のとなりの鎌倉の裏町の博打場に同じ逗子に住む中堅のやくざに案内されてあるしもた屋の二階で開かれている賭場を見学出来た。

 その時博打の壺を振っていたプロからいろいろ自慢話を聞かされたものだが、その時その男が壺振りの心意気を唄った文句を教えてくれたものだった。

『一転四六は地獄振り、手前の母ちゃん久ぶり』と。

 妙に語呂のいいその文句を膵臓の病理検査の結果を待つ間になぜかしきりに思い出していたものだった。

 あのエコーの怪しい影が癌かそれとも何かのただの影か、まさに丁か半か。私の運命の分かれ目なのだから。

 検査の結果を報らされる日心細い私を支えるつもりで長男と医師の資格を持ちある大病院に勤務している次男の嫁が同行してくれた。

 振られたサイコロの目は正しく半で幸運にも発見は極めて早期で癌のサイズは二センチと言うことだった。それにしても癌は癌、これで俺の人生も極まったかと覚悟したら息子が「何そんなに気にすることはないよ、僕の後援会長だった人も膵臓癌になったけど今の医学技術の進歩のおかげで重粒子線での治療で七年も生き延びたけど最後は肺炎をこじらして死んだけども」と。

 そう言われてみても私としては俄かに己の蘇生を信じる訳にいきはしなかった。しかし息子の建言に口を添え私を支えてくれたのは医師である次男の嫁と私に膵臓の癌を宣告した病院の内科医長の神田医師だった。

「そうですね、その方法は必ず効果はある筈です。早速私から先方に紹介の連絡をとりましょう。あれは確か千葉にある国立の施設でしたな」

「千葉ですか。東京の癌研ではないのですか」

「いやあの施設はまだごく限られていて確か日本ではまだ二三ケ所しか無い筈ですな」

後編に続く)

この記事の写真(4枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文藝春秋をフォロー
z