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2022/02/02

 それに懲りて以来私は照射治療の際堪えて咳もくしゃみも極力抑えるように努めたものだった。

 延べ十二回の通院治療は東京の西の外れの田園調布に住む私にとっては千葉市にある施設に通うのは重荷で、聞く所同じ癌治療に通う人の中には施設に近いホテルから通院を続ける者も多いと聞いたので早速探したら千葉の駅ビルにかなり立派なビジネスホテルがあると聞いたので様子を確かめ予約をしたが、後で気付いて念のためにフロントに電話して確かめたら中国のビジネスマンたちが常客で現に五六人の客がリザーブしている部屋を入れ替わり立ち代り利用していると言うので、そこは諦め少し離れてはいるが手前の幕張ならば中国人もめったには来ることありはしまいと、宿変えしてしまった。

苦しみ抜いて死んだ裕次郎

石原慎太郎氏(右)と弟・石原裕次郎氏(左) ©文藝春秋

 幕張のホテルも町そのものも折りも折りとてさらに閑散としたので二週つづいての火木金曜日続いての治療はスムースに完了したがその間の不如意はアルコールは一切禁止ということ。夜はこれまた文明の進化の所産とも言える、その舌触りは本物に酷似しているノーアルコールのハイボールで過した。

 現代医学の最先端技術の重粒子線治療といい、本物に酷似した味のノーアルコールのハイボールといい現代先端技術の所産を身にしみて体験させられた私としては肝臓癌で苦しみ抜いて死んだ弟の裕次郎を思い起こさぬわけにはいかなかった。もしもあの時代にこれらの技術が開発されていたならば弟にせよ惜しまれて僅か三十七で夭折していった天才俳優の市川雷蔵にせよ彼等ならではのさらに大な仕事をなしおえられたにちがいない。

市川雷蔵氏(左) ©文藝春秋

 それは我々と同じ人間たちが我々のあずかり知らぬどこかでそれぞれ人生をかけての仕事とし熱中して努めた所産としての成果であって、その努力の配当にあずかるかあずからぬかは運命という神の差配に依るものかもしれない。

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