起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第92回)。
控訴審・緒方側の主張
2007年9月26日、福岡高裁第501号法廷で松永太と緒方純子に控訴審の判決が言い渡された。厳しい判決が予想される“主文後回し”で、判決理由が記された判決文(以下同)の朗読が進むなか、松永側がしてきた主張は全面的に覆された。続いて、緒方側の主張についての検討結果が明かされる。
緒方側の主張は、一審判決は緒方自身も松永による長期に及ぶ虐待の被害者であるとの視点が欠落しており、それが個別事件の判断に影響しているというもの。緒方は各犯行について主体的な動機がなく、松永の“道具”として利用されたに過ぎず、実行行為性に欠けており、せいぜい幇助犯に該当するほどにも関わらず、松永との共同正犯を認める事実誤認に繋がっている、と訴えていた。
しかし判決文は、犯行に及んだ緒方について、〈松永の指示に従い、同人が意図するところを察知して行動することを繰り返す過程で、各犯行に積極的に加担し、重要な役割を果たしたのである〉と前置きしたうえで、次のように論ずる。
「重大犯罪へ加担することに抵抗することが求められる」と言わざるを得ない
〈緒方が、松永から長年にわたる激しい暴行による被害を受けて、松永の意向に逆らうことが困難になっていたという側面があることは否定できないし、被害者の域にとどまる限りは、社会がこのような立場の女性等に厚い保護を与えるべきことはいうまでもない。しかし、このような者が本件のような殺人等の重大犯罪において、加害者の共犯者という立場に立たされた場合においては、問題はそのように簡単ではなく、自己への暴力等への恐れを甘受しても、可能な限り重大犯罪へ加担することに抵抗することが求められると言わざるを得ない〉
果たしてそれが現実の場面において実行可能かどうか、という点では大いに疑問が残る。しかし、そう〈言わざるを得ない〉見地に立った表現であるということも、理解できなくはない。
それはこの次の〈個別の事件に関する主張について検討〉した事項でも同様だった。
〈緒方は、決して主体的であったとは言えないものの、松永の関係で有罪と認定した各犯罪について、上記のとおり、松永と一緒に生活して行くとの意思のもとに、その指示に従って構成要件該当の実行行為に関わっていたものであるから、緒方には、犯意、実行行為性に欠けるところはなく、共同正犯の責任があることは疑いない〉
そのため、ここから続く各事件への緒方の関与についての説明でも、所論(緒方弁護団の主張)は悉く否定される。以下、一部の事件についての評価の結論のみ抜粋する。