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「来るなよって人を寄せ付けないオーラを」北京五輪“失格”で号泣した高梨沙羅の原点〈“先輩のおかげで”が口ぐせ〉

#2

2022/02/14

source : 文藝春秋 2014年2月号

genre : エンタメ, スポーツ, 社会, メディア

 北京オリンピックスキージャンプの新種目・混合団体で日本の1番手を任された高梨沙羅選手がスーツの規定違反で失格に。涙を流しながら臨んだ2回目で、高梨選手は日本の順位を押し上げたが、ショックでなかなか立ち上がれない様子を見せた。全日本スキー連盟は、国際スキー連盟に対して検査のあり方などについて意見を添えた文書を提出する方針だという。

 高梨選手が10代の頃から取材を続けているスポーツライターの松原孝臣氏がソチ五輪前に寄稿した「高梨沙羅 私は鳥のように飛びたい」(「文藝春秋」2014年2月号)を再録する。(全2回の2回目/前編から続く)

ショックでなかなか立ち上がれない様子を見せた高梨沙羅選手 ©getty

(※年齢、日付、肩書きなどは掲載当時のまま)

◆ ◆ ◆

「実を言うとカメラが苦手なんです」

 大会では公式練習も試合当日も、多くのテレビカメラが後を追いかける。13年2月の札幌での大会では、取材者の数は200をゆうに超えた。ジャンプ競技では異例とも言える。そして海外遠征に出発、あるいは遠征から帰国するたびに空港には多くの取材陣が押し寄せた。

 もはや、その光景は「日常」となっていた。高梨はときにそれが苦痛であるかのようなそぶりを見せた。

 練習や試合でリフトへ向かうとき、カメラと目が合うのを避けるようにうつむき、あるいは一点を見据えて、きりっとした表情で足早に通り過ぎていく。その姿は、周囲の雑音を遮断しているかのようだった。

 快進撃で脚光を浴びた昨シーズンの終わりの頃、ふとこんなことを口にしていた。

「あまり表に出るのが好きじゃないんです。実を言うとカメラが苦手なんです。向けられると逃げたくなるような根暗な性格なんです。撮るのは好きなんですけれど(笑)」

2014年2月、ソチ五輪でインタビューを受ける高梨沙羅選手 ©JMPA

 もともとは、「遠征先では散歩に行ったり、本を読んだり。(移動の機内でも)読書や寝ていたり」と本人が語るように、物静かな性格だ。

 父の寛也も言う。

「まあ、特別な子だとは思ったことはないですね。うーん、一生懸命ではあるけれど、何かここが人と違う、ということは……」

 トップアスリートとはいえ、よくよく考えれば、まだ17歳である。そうした「日常」は、年齢を考えれば、戸惑わずにはいられないのではないか。

 高梨はこう続けた。

「大会の前というのは気持ちも入っているし、ウォーミングアップとか大切な練習は邪魔されたくないという気持ちがあるので、あまり大会前に取材されるのは好ましくないんですね」

 それでも、記者会見など取材の場では丁寧に応じてきた。

「女子ジャンプは、今まで先輩たちが土台を作ってくれて今があると思うんです。でも、まだまだメジャーなスポーツじゃないと思います。もっと発展させていくには、メディアの力を借りないと。世間には認知されていないし、知られていないことが多いので、雑誌や新聞、テレビで取り上げてくれればくれるほど女子ジャンプが有名になりますから」

 その言葉には、彼女の強い思いが宿っていた。