昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

紀子さまの叱責に「なぜ?どうして?」と悠仁さまは質問を繰り返され…提携校制度利用の筑附進学が“見送られた過去”

#3

 秋篠宮家の長男・悠仁さま(15)の筑波大学附属高校へのご進学が、宮内庁から発表されました。「文藝春秋」編集部の特別取材班による「秋篠宮家『秘録』この3年間に何が起きていたか」(2021年12月号)を公開します。(全3回の3回目/#1#2から続く)

2017年9月3日、婚約内定記者会見での眞子さま(当時)と小室圭さん ©JMPA

(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)

◆ ◆ ◆

侍従と女官を廃止

 平成から令和への御代替わりにともない、昨年11月には、秋篠宮は正式に皇嗣になった。皇嗣とは、皇太子と同じく皇位継承順位1位であり、皇族費は増額され、秋篠宮邸も改築されて東宮御所と同様の広さに拡張される予定だ。宮家時代は20人余りだった職員数も、51人にまで増員された。

 秋篠宮家には、側近として宮務官と侍女長が置かれていたが、皇嗣家になるにあたって、天皇家や皇太子家と同じく侍従(長)と女官(長)がおかれる予定だった。しかし秋篠宮は猛反対したという。

立皇嗣の礼「立皇嗣宣明の儀」を前に秋篠宮ご夫妻を見送られる悠仁さま ©JMPA

「皇太子家では、侍従が男性皇族のお世話をし、女官が女性皇族のお世話をするのが決まりなのですが、名称を男女ともに『宮務官』に統一することで仕事が分断されるのを防ぎ、女官も殿下の仕事をやり、侍従も妃殿下の仕事をやるといった形にした。いわばジェンダーフリーに仕事をするように主張されたのです。

 侍従には伝統的に決まった仕事、女官には女官の仕事があるので引継ぎにも困るのですが、秋篠宮さまは、新しい名称に変えることに執拗なまでのこだわりを見せていたのです」(前出・秋篠宮家関係者)

 侍医に関しても、皇嗣家となると体制が大きく変わる。宮家には侍医は配置されないが、皇嗣家には侍医長をトップに、その下に3名の侍医がつくことが決まっていた。

2021年、悠仁さまのお誕生日に際してのご近影 宮内庁提供

 しかし、秋篠宮は「侍医長や侍医という名前はどうもピンとこない」と言い出し、「医官」「第一医官」など新しい案を出しては、二転三転して中々決まらなかった。

 当時の山本信一郎宮内庁長官は、「役職の名前は、仕事の内容にもかかわる。皇太子の時と同じにしないと説明がつかない」と言って頭を抱えていたという。

 結局、医師の役職名は「侍医(長)」のままとすることで落ち着いたが、話が元に戻るまでに1年近くもの歳月を費やした。