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新庄剛志ビッグボス50歳は“お友達人事”を避けるのか 48歳でのトライアウト後に“球界復帰”を模索した理由

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「文藝春秋」3月号より、野球解説者の亀山つとむ氏による「ボクだけが知る新庄剛志」を全文公開します。(全2回の2回目/前編から続く)

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幻の「引退宣言」

 彼の予想外で破天荒な行動によく驚かされました。その一つが1995年の「引退宣言」です。オフの契約更改の席上、突然、球団に引退を申し入れたのです。

「野球に対する実力がないと自分で判断してその気持ちを球団に伝えた。僕にはセンスがない」

 交渉後の会見ではそう引退理由を話していました。

 藤田平監督に監督が代わり、彼が慕っていた島野育夫コーチ、柏原純一2軍打撃コーチも球団を去ったことが大きかったのだと思います。また練習を徹底的に管理されるようになり、根性が美徳とされるチームの雰囲気が新庄に合わなかったのでしょう。一気にやる気を失った彼は「思い立ったが吉日」で、引退を言い出したわけです。アイツらしいですよね。

新庄剛志監督 ©文藝春秋

 スター選手の突然の引退宣言に慌てた藤田監督は休暇先のハワイからとんぼ返りして、新庄と話し合いの席をもちました。場所は大阪市内の都ホテル高層階のレストラン。なぜ、僕が覚えているかというと、監督とトレーナーから「責任をもってお前が連れてこい」と言われ、ホテルまで同行したからです。

 僕の車でホテルまで行って、レストランの厨房を抜け、個室に入る。話し合いが終わったら、また自宅まで送っていく。完全にマネージャーの仕事ですよ。ハンドルを握りながら、「なんで俺がこんなことをせなアカンねん」と文句を言っていました。

 最終的に、新庄は、周囲の慰留を受け、引退を撤回します。その直前まで僕には「引退したらJリーガーを目指す」と言っていました(笑)。