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2022/02/23

クマは忽然と消えてしまった

 ハンターに追われたクマは、自分の足跡を踏みながら後退し、途中まで戻ったところで脇に跳んで、追跡をかわすことがある。これを「止め足」といい、中には、跳んだ場所に隠れて、夢中で足跡を追ってくるハンターを横から襲うケースもある。

「早稲田さん、跳んでるかな?」

「いや、跳んだら跳んだで、(横の)草が寝てるはず。(横に跳ばずに)まっすぐ戻ったかなあ」

 クマは忽然と消えてしまった。やがて警察官らも捜索に加わったが、依然として痕跡は見つからない。

 既にこの場所にきて1時間近くが経過していた。もう、ここも抜けてしまったのではないか——現場にはそんな空気が漂い始めた。だがヘリの乗員は〈抜けたところは見ていません。間違いなくここにいるはずです〉と言う。やがてヘリがギリギリまで高度を下げ、ホバリングし始めた。ローターの回転により吹き下ろされる強烈な風で周辺の草を倒して、クマが飛び出してくるのを待つ作戦だったが、出てこない。

写真はイメージです ©iStock.com

「出た!」脱兎のごとく走るクマが

 ついに警視が斎藤にこう提案した。

「最後にもう1回だけ見ましょう」

 そこで、例の茂みに機動隊員、斎藤、藤井の順で入った。これまで大勢で何度も行き来したため、茂みの中には「道」ができていた。だが、この最後の捜索でも手がかりはないままに、1同が茂みを抜けて現場を離れようとしたそのとき——。

ヒグマは茂みに隠れていた ©時事通信社

「出た!」

 藤井の声が響いた。一斉に振り向くと、まさに脱兎のごとく走るクマの姿が目に飛び込んできた。

 斎藤は反射的にクマの走る方向へ駆け寄りながら、銃袋を外すと、ずっと左手に握っていた銃弾を、愛用のライフル「サワー90 300ウェザビーMG」の機関部に装填し、構えた。目は逃げるクマだけを追い、一連の作業は手元を見ずに行う。時間にして2、3秒だが、クマの最高時速は50キロ超であり、1秒で約14メートル移動する。もし一撃で致命傷を与えることができなければ、クマは反転してあっという間に斎藤たちに襲い掛かってくる——。

 スコープの中のクマは既に後姿となっており、その毛が逆立ち、まるで巨大な「ゴムまり」のようだった。

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