息絶えるのを待って、煙草を1本吸ったが、まだ動きは止まない。ついに「ヨシ!」と腹を決めた斎藤がトドメを刺すために動き出す。30メートルほど近づいたときだった。
「バタバタもがいていたのがグルっと凄い勢いで回転して、一瞬で四つん這いになったんだわ」
クマはまっすぐ向かってきた。その距離、50メートル。山を揺るがすような咆哮と共に、大きく開けた真っ赤な口がはっきり見えた。
「昔から言うんだよ。クマの口の中に銃身突っ込んで撃つ自信がないなら、熊撃ちはやめれ、って」
熊撃ちの礼儀とこだわり
その言葉通りに仕留めた。だがクマが見せた並外れた生命力には畏敬の念を抱かざるを得なかった。
「オレは自分の弾は自分で薬莢に火薬詰めて作るんだけど、全部、研磨剤で磨いているからね。それがなんちゅうか、『命』を頂く者の礼儀というか、まあ、こだわりだな」
語り口からもわかる通り、斎藤はハンターとしては珍しいぐらい陽気な人物だ。その斎藤が神妙な面持ちで「命」という言葉を繰り返した。
東区での事件後、猟友会には「なぜクマを殺すんだ!」という抗議電話が殺到した。そのほとんどは本州からのものだった。だが恐らく彼らの誰よりも、斎藤は動物たちの「命」の重みを受け止めている。
「オレにもあいつら(クマ)にも生きる権利はあるべし、と思ってる。クマが増えたからといって春グマ駆除を復活すべしとも絶対に思わない」
斎藤が続ける。
「けどね、『あれ』を、人さまを襲うところを見ちゃったら、選択肢は一つしかない。アイツを生かしておくわけにはいかないよ」
斎藤の言葉に、現代の日本において「羆(ヒグマ)を撃つ」ことの意味を改めて考えさせられた。
ヒグマと人間社会の間で、いったい何が起こっているのか——。
私は中標津へ飛んだ。そこには「羆を120頭以上獲った男」がいる。
(文中敬称略・以下「文藝春秋」次号)
