昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「日本の芸能界にいられることの感謝は誰よりも大きい」デーブ・スペクターがYouTubeをやらない理由

「文藝春秋」3月号「小さな大物」より

 1984年に「笑っていいとも!」に初出演して以来、40年近くに渡り日本のメディアの第一線で活躍を続けるデーブ・スペクターさん。その生い立ちから現在まで、じっくり伺いました。(「文藝春秋」2022年3月号より)

デーブ・スペクターさん

◆ ◆ ◆

子役でコーンフレークCMに出演

 生まれはアメリカのイリノイ州シカゴです。父は増築や不動産販売をする会社を経営、母はデパートの婦人服の販売員をしていました。向こうは学校が終わると親の職場に遊びに行ったりするんですよね。よく母の職場に行って、脱ぎっぱなしにされた試着室を母が片づけるのを見てたから、「自分は絶対脱ぎっぱなしにはしないようにしよう」とか背中を見て育ったところはありますね。

赤ちゃんの頃、母と父と祖母(左)と。「母は水泳が大得意。魚雷のように泳いでいました」

 姉の勧めで7歳頃から舞台やテレビ、CMなどで子役をやるようになりました。ケロッグのコーンフレークのテレビCMにも出たし、アメリカではコマーシャルソングを誰でも知ってるホットドックのCMにも出ましたよ。たぶん相当稼いでいたと思うけど、親にピンハネされてたんじゃない?(笑)

子役としてCMなどに出演していた9歳の頃

日本人転校生ワタルくんとの出会い

 小学校5年の時に、ワタルくんという日本人転校生がやってきたんです。ガイドブックで覚えた「郵便局はどこですか?」という日本語を話しかけてみたらすごく驚かれて。それをきっかけにワタルくんと仲良くなり、日本にハマっていきました。当時シカゴにあった仏教教会がやっていた日本語教室に週1回通い、ワタルくんの「週刊平凡」、「週刊明星」、「週刊少年マガジン」、「週刊少年サンデー」などの雑誌をもらって日本語を覚えました。

 ワタルくんのお姉さんにもらってた「女学生の友」も面白かったですよ(笑)。今なら日本のテレビも見られるしネットもありますが、当時は日本語を勉強するには、雑誌と本とレコードしかないんです。だから日本の雑誌と芸能界にすごく詳しくなりました。ある程度、マンガや雑誌で日本語をマスターしたら、今度は小説に挑戦しました。井上靖、五木寛之とか10代前半で読んでましたから、おませでしたね。「小説新潮」と「オール読物」も読んでました。この2つは短編小説が入っているから、連載途中で話が分かりづらくなっても他の小説読めばいいからね。