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膵臓がんが再発、余命3ヶ月を宣告され…石原慎太郎の四男が明かす「父が遺した最期の言葉」

 作家で元東京都知事の石原慎太郎さん(89)の最期を看取った四男の延啓さんが、月刊「文藝春秋」のインタビューに応じ、最晩年に石原さんが遺した言葉の数々を明かしている。

 石原さんは昨年10月、膵臓がんが再発し、医師から余命3カ月を宣告された。延啓さんがその時のことを振り返る。

「再発が分かったときには、すでにお腹のあちこちに癌が転移する腹膜播種が起きていた。父は星のように散らばる癌のレントゲン写真を見て戦慄した、と申しておりました。高齢で持病も抱えていたので、もう抗癌剤治療はせずに少しでも痛みや辛さを和らげるための緩和ケアを選択しました。以来、自宅と介護施設を行き来する、最後の闘病生活がはじまったのです。宣告後にどう声をかけたらいいか分からずに、思わず『正岡子規の「病牀六尺」ではないが、今の心境を描写していったら?』というと『俺は日記を書く』と父は答えてくれました」

 延啓さんは闘病生活を送る石原さんに寄り添い、いろいろな話をしたというが、2人が交わした最後の会話は、亡くなる5日前の1月27日のこと。

「お腹を痛がって、夕方顔を出した私に『なんとかしろ!』と騒ぎまして。このところ眠っているばかりの父に怒られるのは久しぶり、何より怒る元気がある証拠ですから嬉しくなってしまいました。ビールを飲みたいとまで言い出して一番小さいものをひと缶飲み切りました。美味しいかと尋ねると『美味いねぇ』と満足そうに答えます。この時とばかりにお腹をさすってあげながら父が元気な頃のままに少し話をしました」

延啓氏初個展で(本誌1995年1月号)

 延啓さんがその場で朗読したのは、哲学者・上田閑照さんの随筆『折々の思想』のプロローグ〈今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅〉で始まる文だった。

「父から『こういう良いエッセイとは何処で出会うの?』と聞かれたのが、そのまま眠りに落ちてしまった父との最後の会話になりました。本来は上田さんのような京都学派は父のガラじゃなかったと思いますが、何か感じるところがあったのでしょうか。今となっては確かめる術はございません」

 2月1日朝9時ごろ、容態が思わしくないとの知らせを受け、施設に駆け付けたところ、石原さんが目を見開いて天井をみつめ苦しそうに荒い呼吸を繰り返していたという。

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