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それでいくらか経営は持ち直し、墜落寸前だった松栄米穀はなんとか低空飛行を続けられるようになった。しかし、減り続けるコメの需要に対しては、焼け石に水だった。

2018年3月、ついに金融機関から運営資金の融資が受けられなくなり、弁護士に相談に行くと「倒産するなら1日でも早い方がいい」とアドバイスを受けた。倒産をするにも費用がかかるため、本当に危機的状況に陥ってからだと倒産するのも難しくなるという話だった。

それまでぼんやりとしていた「倒産」の文字が、急にハッキリと浮かび上がった。その時、ホッとする気持ちもあったと打ち明ける。

「親父の店を残せなかったという悔しさはあります。でも、コメ屋は利益が少ないうえに市場が縮小して、これからどうしようってずっと悩んでいたから、やりきったっていう想いもありましたね。これでようやく一区切りついたと」

「兄貴分」との偶然の出会い

父親の誕生日だった4月12日、フェイスブックに「店を辞める」という内容の投稿をした。すると、「なにやって生きていきたい? 直球でごめん」とメッセージが届いた。送り主は、砂町にあるラーメン屋「凛」のオーナー、國分義廣さん。

ふたりの出会いは、偶然だった。2012年のある日、砂町方面に納品に行った時にラーメン屋がオープンしているのが目に入った。もともとラーメン好きの大曽根は、ふらりと店に立ち寄った。そのラーメンに一発で惚れ込み、砂町に行った日には毎回食べに行くようになった。

オープン直後でまだ常連が少ない時期だったから、ひとりで店を切り盛りするオーナーの國分さんと、言葉を交わすようになった。たまたまウマが合い、間もなく國分さんは「兄貴分」のような存在になった。客として通う飲食店の店主と親しくなるのは初めのことだというから、よほど相性が良かったのだろう。

「店を辞める」と書き込んだ日、國分さんからのメッセージを読んだ大曽根が返信すると、國分さんから電話がかかってきて、会って話をしようということになった。

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