起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第95回)。
メディアを選り好みした松永の主張
2008年11月から松永太と面会や手紙のやり取りをするようになった私は、翌09年になっても、彼が願う“無実”を訴える活動を実現することはなかった。
その理由として、松永がメディアを選り好みしており、仮に彼が了承したメディアであったとしても、記事の内容を自身にとって望むかたちでしか出さないことを条件にしていたことが挙げられる。
同年3月に彼から届いた手紙には、その前の面会時に私が、「週刊誌であれば、私が(企画を持ち込んで)書ける場所があるから、そこで松永さんの主張を訴えてはどうか」と提案したことへの返答が書かれていた。
〈先ず第1に、いわゆる週刊誌の筆枠を(連載orコーナー)一光さんは持っておられるとのことでしたが、私も気楽に考えていいのではと思ったのですが、やはり、この点はお断りすることにさせていただきます。週刊誌の中で私に取材にきた人は一人もいないのに、勝手に書きたいように書かれて、いわゆる「トラウマ」があり、嫌悪の情を払拭することが出来ないからです〉
さらに彼は次のようにも訴え、断言する。
〈いくら私が証拠上の真実を一光さんに弁護人を通して示したとしても、一光さんが色めがねでみられれば全く真実は人々には伝達されません。(*A)今のマスコミ、メディアライターは、真実は何か! という主題を無視して迎合主義と勝手な主観で論を張ってるようです。このことは日本のおおよその裁判所にもいえると思います〉
彼自身がこの文章を書き終え、読み直している際に思いついたのだろう。(*A)の場所に矢印を向け、それまでと色の違う青いボールペンで〈一光さんにはその勇気はあるのでしょうか?〉と加えられていた。
また、同じようにこの手紙の文末には、青いボールペンを使って、週刊誌への嫌悪の感情が書き足されている。
〈私の主張を(但し全て証拠にもとづいたもの、いちいち証拠を陳列します)そのまままとめてのせてくれる本は(週刊誌は×)どこかないのでしょうか? 勿論、論は、論陣は、小野一光さんがはってもらっていいのですが、週刊実話や現代は、私をぼろくそにたたいた雑誌ですから、やはりいやなのです〉
さらに、その1週間後に彼から届いた封書には、記事内容についての注文が羅列されていた。以下、抜粋する。