昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

「え? なんで私の名前が…?」松永太が、高校時代の同級生・B子さんに言及した理由とは

完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件 #96

2022/03/15

genre : ニュース, 社会

 起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第96回)。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

元知人のAさんに、唐突に届いた松永からの手紙

 上告審の判決を待つ2008年11月から09年5月にかけて、松永太と面会や手紙のやり取りをしていた私は、09年春に彼から直接、「(拘置所に)昔からの友人が来てくれてますよ。彼はいつも『お前がそんなことをするはずないことはわかってる』と言ってくれてますね」と、友人が面会に訪れていることを聞いた。

 当時、私はそれが精一杯の虚勢を張った松永の“作り話”に違いないと胸の奥で思っていたのだが、それから11年後の20年10月に、松永が話していたことの一部が事実であったと知ることになる。

 その相手と思しき友人は、福岡県の筑後地方に住むAさんという、松永と同い年の男性。Aさんは、松永と10代後半から20代前半にかけて付き合いがあったという。ただし、彼は松永と面会をしたわけではなく、手紙のやり取りをしていたに過ぎないと語る。

 Aさんは私の取材に、松永からの手紙は唐突に届いたのだと説明した。

「それこそ突然来たけんね。まあ事件のことは知っとったから、うちの嫁がね、『怖かけん、(返事を出すのは)やめてくれ』って言うったい。けど、俺は昔も知っとうけんね……」

 Aさん本人がその時期を記憶しておらず、手紙はすべて処分したため、正確な時期を知ることはできないが、福岡拘置所からの手紙だったことから、松永の控訴審が始まって以降だったものと推測される。Aさんは松永からの思いがけない手紙に対して、返事を出したそうだ。

松永の手紙は「長いし、もう、おちゃらけとっと」

「で、あいつから手紙が来はじめたとやけど、その手紙の量がすごかやん。裁判について、もう、俺がこうこうこうで、俺の責任にされてしもうてやら……。それで法務大臣に手紙出しようとかね」

 松永の手紙は、延々と自分がやっていない罪をきせられていると主張していた。さらには、その不当性を法務大臣にまで訴えているのだとAさんに伝えるものだった。かつての松永との手紙のやり取りで、彼が同じ内容を畳みかけるように書いてくることを経験していた私は、「(文面が)長いですよね」と同調した。

「長いし、もう、(内容が)おちゃらけとっと。それこそ、『昔のああいうこと憶えとるか?』とか。お前、こういうことば書いて、なんの反省もしとらんやんかて、俺もう、何回も書いたつよ」

小学生時代の松永太死刑囚(小学校卒業アルバムより)

 みずからの無実を訴えるだけでなく、若い頃に暴走族だったAさんの威光を笠に着るためついて回っていた松永が、一緒に経験した思い出話をしきりと書き連ねていたと語る。これは想像するに、共有した思い出を列挙することで、親近感を強めるという彼なりの策なのだろう。