普段、当たり前のように使っている言葉でも、自考してみる必要がありそうです。
教師、医師、政治家は皆「センセイ」なのか
「先生」「センセイ」と呼ぶ相手はどんな人たちでしょうか。
人それぞれですが、私は、自分に教えてくれた学校の教員や恩師は「先生」と呼びます。同様に、私を真剣に診察しようとしてくれる医師は「先生」と呼びます。軽率な感じの医師は「○○さん」と名前で呼びます。私を教育しようとしてくれたり、私の病気を本気で治療しようとしてくれたりする大切な役割の人に対しては、尊敬と信頼、責任を果たすべきだという願望も込めて「先生」と呼ぶことにしています。
政治家はどうでしょう。若い記者時代、政治家を取材する時、先輩記者に倣って、国会議員を「センセイ」と呼んでいました。媚びる感じがして抵抗がありましたが、「○○議員」と呼ぶよりは「センセイ」と呼んだ方が、相手が振り向いてくれるかもしれないといった下心があったのかもしれません。
しかし、やがて疑問に思い、ある時から、やめました。自らの利益を優先するような政治業の人が多いと感じ、センセイという呼称がはばかられたからです。重責を果たし切れていない議員を「センセイ」と呼べば、議員が増長し、勘違いしてしまうかもしれないなどと考えました。
被告を「さん」付けで呼ぶようになった裁判官
2014年3月、埼玉県川口市で起きた17歳の少年による祖父母殺害事件。借金があった母親が少年に「殺してでも借りてこい」と指示したといいます。不幸な幼少期だったことなども踏まえ、検察は死刑ではなく、無期懲役を求刑。その年の12月、さいたま地裁(栗原正史裁判長)は懲役15年の判決を言い渡しました。
産経新聞によれば、判決後、栗原裁判長は少年に次のように説諭したそうです。「お母さんにも原因はあるかもしれないが、君の責任はなくならない。ひと2人が亡くなったことの意味を一生考えてほしい」「君が刑期を終えて社会に戻ってくるのを、君を思ってくれている人たちと一緒に、私たちも待っていようと思います」。