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「夫から励ましの言葉を期待した私がアホ」上沼恵美子に黒柳徹子が説いた“引退の極意”《おしゃべりクッキング最終回》

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「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」(ABC・テレビ朝日系)が、4月1日に最終回を迎えました。「文藝春秋」2022年4月号より、タレント・上沼恵美子さんが「快傑えみちゃんねる」、「おしゃべりクッキング」を振り返った手記を全文転載します。(全2回の2回目/前編から続く)

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2人の息子の子育ては毎日が戦い

 90年代に冠番組が次々始まった頃、私は40代で、2人の息子の子育ても真っ盛りの時期を迎えていました。本当に毎日が戦いでした。

 10代で芸能界に入り、22歳で結婚・出産、夫に言われるがまま家庭に入った。けれど家には姑もおるし、ずっと専業主婦というのは耐えられない。何よりタレントとして不完全燃焼でした。

 2人目の子供を産んだ後、20代後半で「バラエティー生活笑百科」のレギュラーで芸能界に本格復帰しました。そこから、仕事・育児・家事の“三刀流”生活がつづきました。

 大好きだった人と結婚して痛い思いして産んだ子なのに、子育てがいちばん我慢の連続でした。

 仕事の合間をみつけて、何時間もかけて障子を張り替えた矢先に、息子がブチッと破る。コラーッて怒る気にもなれなかったです(笑)。

 自分の身体からひねり出したはずなのに、言う事を全く聞かない。長男は勉強も運動も苦手。小学校ではイジメられ、友達が家に遊びに来ても、1人ぽつんと絵本を読んでいる。中学校のとき、三者面談で先生から「行ける高校がない」と言われてしまい、うなだれて帰ってきて1人で泣いたこともありました。

世界でいちばん私が不幸だと感じた

海原千里・万里時代 ©共同通信社

 近所との戦いもありました。家を建てるときに、地下室をつくろうとしたら、近所から「工事の音がやかましい」とクレームを受けた。建築業者の方と一緒に(地盤改良のための)ボーリング工事の説明にあがって、私も水羊羹を持っていったりしましたけど、まったく聞く耳をもってくれない。結局、断念しましたが、すでに工事は進めていたので、1000万円が吹っ飛びました。

 ほんとうに怒濤のような日々です。子供の弁当は20分で支度する。凝った料理はしません。男の子を持った主婦というのはガサツになってしまいます。赤や黄色の食材を入れて三色にしても食べてはくれません。白いご飯の上に、おかずは、ハンバーグか、焼肉か、唐揚げ。隙間にプチトマトを突っ込んでも残して帰って来る。大きな声を張りあげないと言う事を聞かないから、ガラが悪くなる一方でした。

 髪を振り乱して「はよ、起きやー!」って子供をたたき起こし、弁当詰めて、今度は自分の顔を塗らなあかん。それで「行ってきます!」って仕事に行く。その上、子供や近所の問題がふりかかってくる。

 当時は、世界でいちばん私が不幸だと感じていましたが、人生を振り返ってみると、あの頃が一番楽しかった。心からそう思うんです。

 いま仕事をしながら家事や育児に追われて苦しんでいる方がいたら、「人生で一番いい時期やから」と言ってあげたい。「しんどいわ、自分の時間がないわ」と言っているうちが華なんです。怒る元気もあって、声も出るし、動きも速い。毎日が充実して生きている実感があるはずです。