会談が終わるとプーチンは通訳の私を呼び止めた――。作家の佐藤優氏による「死神プーチンの仮面を剥げ」(「文藝春秋」2005年12月号)を特別に再録します。(全2回の1回目/後編に続く)
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プーチンを見て「死神がやってきた」
モスクワの「赤の広場」から南に車で3、4分のところに灰色の柵で囲われたレンガ色14階建の大きなビルがある。出入口には民警が自動小銃を持って立っている。
ソ連時代、この建物には何の表示もなされていなかった。この建物はブレジネフ時代にノメンクラトゥーラ(特権階層)のために建てられたソ連共産党中央委員会専用の「オクチャブリ(10月)第2ホテル」だ。フィンランドの建設会社が建てたこのホテルは天井が高く、ホールが大理石貼りの準迎賓館だ。ソ連崩壊後は大統領総務局が管理する「プレジデントホテル」と改称された。
ソ連崩壊後、私は「プレジデントホテル」とコネをつけ、出入りを特別に認めてもらった。東京に戻ってからも出張のときはいつもこのホテルに泊まった。
1998年12月初め、私が夜の7時過ぎにロシアの国会議員とホテルのロビーで話していると、青色の緊急灯を照らしたBMWが近づいてきた。ロシア人にしては小柄な175センチくらい、灰色の背広の上に灰色の外套を着た人物が降りてきた。目の下に茶色い隈ができている。一瞬、背筋に寒気が走った。ボディーガードが2名付き添っている。見たことのない人物だ。
「死神がやってきた」
その国会議員が呟いた。
「暗い顔つきだね。陰険な感じだな。いったい誰かい。大統領府の奴か」
「この前まで大統領府にいた。タチアーナ・ジャチェンコ(エリツィン前大統領次女)に気に入られている。ウラジーミル・ウラジーミロビッチ・プーチンだよ。今はFSB(連邦保安庁=国内秘密警察)長官だ」
ロシア政治エリートや金融資本家の動向を監視するFSBが大統領の寝首をかくことがないように、エリツィン大統領と家族がプーチン氏をFSB長官に据えたのだ。ロシアでは大統領の信任を得ている者を徹底的に調査すれば、政権中枢の強さと弱さが明らかになる。
対外諜報機関員には2つのタイプがある。第1のタイプは社交的で、派手で、誰もこんなに目立つ奴がスパイ活動など行うはずがないと思う。その裏をかくプロたちで、人懐こい表情に陰険な打算が隠されている。第2のタイプは、存在感があまりない、一見気が弱そうな人たちだが、実際は意志力が強く、陰険だ。もっともインテリジェンス(諜報)の世界でお人好しは生き残っていくことができないので、職業的に陰険さが身に付くのであるが、プーチン氏のように陰険さが後光を発している例は珍しい。