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genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ

テレビは「完成品」を流すのには向いていない

子どもの頃のタモリは、ラジオで落語などを聴いていたものの、いわゆる「お笑い」にはそれほど興味がなかった。

テレビで見ていたのは「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)くらいで、あまり関心はなかったという。この頃のテレビの「笑い」は、しっかりとした「完成品」の“芸”を見せるものだった。

しかしテレビ・バラエティは独自の進化を遂げていく。「テレビが芸の時代じゃなくなってきた」と、タモリは80年代半ばに述べている。

「もともとテレビというのは、完成品には向いてない。あんな、ちいさな画面の中で、きちっとした落語なんていうのは。ちょっと向いてない」[2]

同様のことを赤塚不二夫との対談でも語っている。「テレビっていうのは状況ですからね。状況を流すということに一番威力を発揮するメディアだから、作られたものにはちょっと向いてないのかもしれない。完全に作りこまれたものには特に」[3]

究極の素人として登場

そんなテレビの特性にタモリはぴったりとハマった。

タモリのデビューは75年。同年に『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ)が始まり、この番組で萩本欽一はいわゆる「素人いじり」を完成させ、作り手である「プロ」と受け手である「素人」をないまぜにしてしまった。

それは大きな支持を集める一方、「素人をテレビに出すな」といった批判も浴びることになる。しかし「テレビの本質は『素人芸』」と看破した萩本は、「プロを出せという人こそテレビの素人」と、クレームを意に介さなかった。

タモリもまた「素人芸」と言われた。師匠を持たず、会社員を経験して30代での遅いデビュー。素人芸が求められた時代に、究極の素人として登場したのだ。

「この世界(芸能界)しか知らなかったら、この世界のおかしなところなんかが、わからなくなるんで。おれは一般人だから、そのおかしな感覚が目についちゃうわけ。三十まで一般人生活してると一生抜けない」「そこのところのズレが、おもしろいかなとも考えるけれども、本人も何がうけているかはよくわからない」[2]

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