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永六輔「タモリの芸はうまくない」

「僕ね、タモリの芸ってうまいと思ったこと一度もないんです」と永六輔は語った。「それは、声色だろうがなんだろうが、うまくもなんともない。ただ、見る目と気のつき方の細やかさみたいなもの、これはア然としますね」「タモリの場合は、うまさじゃない、すごさなんです」[4]

このインタビューが行われた80年頃、永六輔は「テレビファソラシド」(NHK)でタモリと共演していた。タモリはリハーサルと同じことを本番では絶対にやらなかったという。

テレビは状況のメディアである

タモリによれば「飽きちゃうから」ということだが、「テレビは状況のメディアである」という信念も影響していたのだろう。

タモリは当時のインタビューで、こうも語っている。「だれもそんな厳密さなんか求めていないという気がするんですけど。ナマだったらナマなりの期待があって、だれか失敗するんじゃないかとか」「少しぐらい失敗してもそのほうがイキがいいわけでしょ。テレビではそれをやったほうが面白い」[4]

人間はわからないことに興味を持つ

「われわれがテレビの世界に憧れたのは、たとえば『11PM』で(大橋)巨泉さんがわけのわからないことを言っていたからなんです。僕らは高校とか中学だから、わからないわけです。その『わからないこと』に興味を持つんです。わからないことは必要以上に説明しなくてもいいんです。むしろ、わからない世界でテレビをやったほうがいい。『なんだろう』『大人になったらわかるかもしれない』と思って興味を持ってくる。わからないことに、人間はよく興味を持つんです」[5]

「テレビファソラシド」でも共演した加賀美幸子と行った00年の対談で、タモリはこのように、昨今のテレビ番組の「わかりやすさ」に拘泥する傾向に疑問を呈している。

ジャズにハマったワケ

タモリがジャズにハマったのも、またその「わからなさ」からだった。

子どもの頃、両親は福岡の下町で商売をやっており、そこで母親は仕事中にもジャズを流していた。父親は父親でフラメンコに夢中で、さらに姉はクラシックのピアノをやっており、タモリ自身も民族音楽などを聴いていたという。

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