そして高校生の時、近所の後輩の家でアート・ブレイキーの一枚を聴いた。
「何がなんだかわかんない。こんなわけのわかんない音楽聞いたのははじめてで、とても癪にさわったんですね。俺にわからない音楽なんてないと思ってましたからね。それじゃあ根性入れて聞こうということになって」[3]
そしてジャズに傾倒していった。ちなみにタモリは84年に「いいとも」でMJQとトランペットで共演、アート・ブレイキーの代表曲でもある「ナイト・イン・チュニジア」を演奏している。
まるでジャズのようだった「いいとも」放送後のトーク
タモリはジャズの魅力を「目の前で『音楽ができ上がっていく』、その現場に居合わせられる」ことだと語っている。
「その場ででき上がったライブも、その場かぎりで、終わり。次の時にはまた違うって音楽はね、ジャズだけ」[6]。
またタモリは「いいとも」のいわゆる「放送終了後のトーク」を、ジャズのセッションになぞらえている。
「いいとも」では生放送終了後、レギュラー出演者が30分強のフリートークを行い、その一部は「増刊号」で放送される。後年はあらかじめテーマが設けられるようになったが、それまでは完全な「即興」だった。
現場に立ち会っている興奮
「本当にその場でしかできないものを見てるから、観客もノってくるんですよ。ようするに『現場に立ち会ってる』興奮なんです」「お笑いでもジャズでも、人となにかやるからにはやっぱり自分も変わりたいし、相手も変わってほしいなと思ってるんです。やっぱり、そこがいちばん、おもしろいところなんですよ。現場に立ち会ってるという、生な感じが」[6]
それを生放送で実践し、絶大な人気を博したのが明石家さんまとのトークだった。台本はもちろん、打ち合わせすらなく、小さな丸テーブルを挟んでふたりが即興でしゃべり合うだけのこのコーナーは、84年に「タモリ・さんまの雑談コーナー」としてスタート。
以後「日本一の最低男」「日本一のホラ吹き野郎!」「もう大人なんだから」と名前のみを変えながら、11年間という長期にわたって継続された。