120頭以上を獲った男のモットーは「いるから撃つ」。「文藝春秋」4月号より、ライターの伊藤秀倫氏による「羆を撃つ 現役最強のハンター」を全文公開します。(全3回の2回目/#3に続く)
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親子グマが危ない理由
「昔、羅臼にTさんというハンターがいてね」
赤石が語り出したのは、クマ撃ち名人と称されたあるハンターの身に起きた37年前の事件だった。
当時の釧路新聞は、〈クマに襲われハンター死ぬ〉という見出しで、事件の概要をこう報じている。
〈クマ撃ちに行くと出掛けたまま(*1985年4月)22日夜から行方不明となっていた羅臼町のハンターが23日早朝、羅臼町海岸町ハシコイ川800メートル上流、通称“マルクラ”の沢で死体となって発見された。死亡していたのは羅臼町(*住所略)、ミンク養殖業、T(*記事では本名)さん(63)。死体の頭部や顔にはクマのツメでひっかかれたようなキズがあり、死体から60メートル離れた地点にライフル銃が放置されていた〉
赤石は遺体発見の翌日、地元猟友会で組織された捜索隊に加わった。
現場の沢には残雪が多く、両側は切り立って見通しが悪い。残雪の上には、Tさんとクマの血に染まった足跡が入り乱れて惨憺たる有様だったという。その痕跡から、Tさんは子連れのメスのクマを撃ったものの一発で仕留めきれずに、反撃を受けたものと見られ、親子グマは、上の方へ逃げたと推測されていた。
「ただ、みんなは上に逃げたと言うんだけど、いくら探しても、その痕跡がない。変だな、と思ってもう一度、丹念に探したら、上じゃなくて、案の定、すぐそばにあった」
新たに見つかった痕跡は、Tさんを襲ったクマがまだ現場付近にとどまっていることを示していた。赤石らがその痕跡を辿り始めたところ、突然、猟犬が吠え出し、遺体発見現場から70メートルほど上方の笹ヤブから、クマが姿を現した。
間髪を入れず、捜索隊のメンバーの1人がこれを撃ち、赤石はクマが潜んでいた笹ヤブに入った。