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92歳の橋田壽賀子が語る「わたしの理想の死にかた」

2018/06/02
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 死期に備え準備、活動する“終活”。近年書籍などではよく論じられるが、家族間で死について語ることはいまだタブー視されがちである。安楽死とは何を指すか、安楽死を悪用させないための仕組みづくりをどうするか。自身も安楽死を望む橋田壽賀子さんの提言。(出典:文藝春秋オピニオン 2018年の論点100)

自分で判断ができるうちに、死ななければ 

 私が安楽死を望むのには、私なりの理由があります。もうじゅうぶんに生きて、仕事はやり過ぎるほどやったし、世界中の行きたい場所へ行ったし、思い残すことは何もない。夫には30年近く前に先立たれ、子どもはなく、親しい友人もいない。天涯孤独の身だから、長く生きて欲しいと望んでくれる人もなく、あの人のために生きていたいと願う相手もいない。これ以上生きていても、世の中の役に立たない。

 役に立たなくても元気でいて、他人に迷惑をかけないうちはいいのです。ところが私は92歳。いまは自分で生活できていますが、この先いつ、身体の自由が利かなくなるか。気づかないうちに認知症になって、何もわからなくなるかもしれません。食事から下の世話まで人さまの手を煩(わずら)わせるのは、私は嫌なのです。これは、尊厳とプライドの問題です。

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 だからそうなる前に、自分で判断ができるうちに、死ななければいけません。自殺はいけないことだし怖いから、死ぬ時期を自分で決めるには、安楽死しかないのです。

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