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「過酷だ」「忍耐強い」…矢部太郎が明かす「進ぬ!電波少年」アフリカ3カ月で外国語マスター企画が“楽しかった”理由

「文藝春秋」5月号「小さな大物」より

2022/04/17

 テレビの企画で4か国語の言語を習得したり、気象予報士の資格を取ったり、初めて描いた漫画が、シリーズ累計120万部を突破したり……。独特の芸風を持つお笑い芸人でありながら、多方面で才能を発揮する矢部太郎さん。最新作『ぼくのお父さん』でも描いた幼少期の話から、幅広く活躍する現在に至るまでの歩みを伺いました。(「文藝春秋」2022年5月号より)

矢部太郎さん

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「ちょっとわかりにくいものが好きだった」少年時代

 父は、絵本や紙芝居の作家でした。いつも家にいて、母が外で働いていたので、父とよく遊びました。小さなころは、父と一緒に「たろうしんぶん」という新聞を作っていました。家族の十大ニュースとか、お姉ちゃんが猫拾ってきたとか。文章もイラストも描いて、親戚に郵送して読んでもらったりしていましたね。多分、10回以上は発行したんじゃないかな。

自宅で、小学校入学前
小学校時代。市民プールで
中学生時代。家族で登山へ

 家族で山登りにもよく行きました。記念にお土産物屋さんで、必ず、金属のキーホルダーを買うのが楽しみだったんです。デザインも、立札みたいだったり、山のシルエットだったり面白いものが多くて、集めていました。「高尾山」とか達筆な筆で書いてあるようなのが好みでしたね。今も、お菓子の箱みたいなものに入れて、実家にあるはずです。

 家に帰って、一人で本読んだり漫画を読んだりテレビ観たりするのが好きでした。

 漫画は中学の頃は、手塚治虫さんが大好きで学校においてある「火の鳥」も夢中で読んだし、ファンクラブにも入っていました。安部公房さんなどの小説もよく読みました。文体も含めて、新しく文学を作ろうとしていらっしゃるところ、不条理なところなど、ちょっとわかりにくいものが好きだったのかなと思います。