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「国境なき医師団」現地リポート 幼稚園も墓地に変わった…マリウポリ出身のスタッフが故郷でみた「地獄」の様子

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genre : ニュース, 国際

いまウクライナではなにが起きているのか。国際医療NGO「国境なき医師団」(MSF)は、国内15カ所以上の拠点で医療や物資の援助を行っている。ロシア軍が包囲する南東部の都市マリウポリでも、戦争が始まった最初の数日間は医療物資を提供するなどしてきたが、その後の戦闘激化を受け、市内での活動はできていない。長年、MSFのスタッフとして活動してきたマリウポリ出身のサーシャさん(※)リポートを紹介する――。

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写真=AA/時事通信フォト 2022年3月29日、砲撃を受けたあとのマリウポリの学校 - 写真=AA/時事通信フォト

テレビの中の話だと思った

私は生まれも育ちもマリウポリです。この町で学び、働き、幸せな毎日を過ごしてきました。MSFに採用された時は、社会貢献に携われる仕事に就けてうれしかったものです。マリウポリでの暮らしは平穏で良いものでした。

それが突然、地獄に変わったのです。

最初は誰もが、何が起こっているのか信じることができませんでした。私たちの時代に、こんなことは起こり得ないはずです。戦争が始まり、爆弾が町に落とされるなんて、予想すらしていませんでした。テレビの中の話だけだろう、きっと誰かがこの狂気を止めてくれる。そう、思っていたのです。それが現実になりつつあると気づいた時には吐き気がして、3日間何も食べられなくなったほどでした。

空爆が始まると、それまでの世界は姿を消しました。私たちの生活は、全てを破壊する爆弾やミサイルに引き裂かれていったのです。私たち住民は、他のことは何一つ考えられず、感じられなくなりました。曜日も無意味になり、今日は金曜日なのか土曜日なのかも分からなくなりました。全てが長い悪夢となったのです。姉は日数を数えようとしていましたが、私には全てがぼんやりと感じられました。

町のいたるところにできた墓地

最初の数日間は、幸運なことにMSFに残っていた医療物資をマリウポリの病院の救急診療科に届けることができました。

ただ、電気と電話回線が使えなくなってからは同僚と連絡が取れなくなり、活動ができなくなったのです。爆撃は日ごとに激しさを増していきました。当時、私たちが考えていたのは、何とか生き延びること、そして脱出する方法を探すこと。この二つでした。