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2022/05/09

「40メートル? いやいや、もっと近かったです」

 岡田の話を疑うつもりはないが、にわかには信じ難い話だ。そこで後日、現場にいたハンターの樺沢にも話を聞いたのだが、事実関係はほぼ岡田の言った通りだった。唯一違ったのは、クマとの「遭遇距離」だ。

「40メートル? いやいや、もっと近かったです。ポンと石を投げれば当たる距離。10メートルなかったんじゃないかな」(樺沢)

 元自衛隊員でハンター歴10年を越える樺沢は、これまで何百回と護衛に出たが、その最中にクマを見たのはこれを含めて2回だけで、襲われたのはもちろん初めてだという。

「個人的にはチェーンソーの音が誘因になったのかな、と推測しています。ただそれでやって来たとしても、あの場をなかなか立ち去ろうとしなかったのは不気味でした。普通のクマではまず考えられません」

 岡田の気合についてはこう語る。

「とにかく聞いたことのないような凄い声でした。岡田さんは『あれは、若い頃にじいさんのハンターに教えてもらったんだ』と後で言ってましたが、やっぱりそういう知識とか経験の蓄積が凄い。それと射撃技術はもちろんですが、銃器に関しても異常に詳しい。どっかの軍隊にいたのかな、って思うくらい(笑)」

 襲ってくるヒグマを気合だけで追い払い、元自衛隊員も呆れるほどの銃器の知識を持つ——岡田崇祚とはいかなるハンターなのか。

山に1人で入って動物の足跡を追う「忍び猟」

 1947年、岡田は炭鉱の町、北海道三笠町で生まれた。札幌市内の高校を卒業後、国鉄に入る。最初は蒸気機関車の「火夫(罐焚き)」だったが、その技量を見込まれて運転士となる。猟を始めたのは、旭川勤務になった1968年頃だという。

「ここなら猟できるぞ、って人から言われてね。もともと銃は好きで、16歳から空気銃を撃ってきたんだけど、旭川に来てから散弾銃を持って、兎撃ちから始めたんだ」

 勤務シフトの関係で仲間と休みが合わなかったせいもあるが、山に1人で入って動物の足跡を追う「忍び猟」が性に合っていた。

「最初の頃は兎にもバカにされた」と苦笑するが、そのうち兎の“止め足”も見破れるようになり、3年目からは釧路地方の西庶路(にししょろ)を拠点に鹿撃ちに出るようになる。

「真冬のシカの猟期に有給の20日間を全部つぎこんで、牧場に頼んでテント張らせてもらってね。それも金なかったからペラペラの夏用の三角テントで、ストーブ焚いてもテントの中はマイナス12度。毎朝、牧場の息子が『おじさん、生きてるかい?』と見にくるほどだった」

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