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「お父さんは私のこと知っているのかな」父・赤井英和とは14年間会えず…赤井沙希(35)が幼少期に抱えていた“複雑な想い”

赤井沙希さんインタビュー #1

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赤井 実はスカウトされる前から、地元の美容室でヘアモデルをやったりしていたんですよ。その時に写真を撮られることや、カメラマンさんとの空間づくり・雰囲気づくりが楽しいと思い始めていたんですよね。

 それに私はずっと身長がコンプレックスだったんです。小学6年生の時に160センチあったんですけど、中学生になってからさらに伸びて。その頃は厚底ブーツとかルーズソックスが流行った時代だったんですけど、私が厚底ブーツを履いちゃうと周りの子より頭1つ分も背が高くなっちゃうから、履くのを我慢していたり……。

 

「高校1年生の時に冨永愛さんの写真集を見て……」

――モデルの仕事なら、そのコンプレックスを生かせると思った?

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赤井 そうです。高校1年生くらいの時、友達から「この人知ってる?」と言われて、冨永愛さんの『VOGUE』の写真集を見せてもらったことがあったんです。それを見て「身長が高くても、こんなにかっこよくなれるんだ!」と衝撃を受けて。その時に「モデルは、自分の身長の高さを長所にできる仕事なんだ」と実感できましたね。

――2004年、17歳の時には自身初の写真集『Saki』を発売されました。

赤井 私の母と父(赤井英和)は離婚してるんですけど、親の都合で子どもの名前が変わるのはかわいそうと思った母が、名字を「赤井」のままにしてくれて。だから私は本名が「赤井沙希」なんです。でもモデルを始めてからは、下の名前の「沙希」だけで活動していました。芸能やモデルのお仕事をするのに「赤井」という名字が嫌だったので。

 17歳で写真集を出す時も、事務所とは父親のことを隠したまま「沙希」として発売する約束だったんです。それなのに、発売日になったらメディアに「赤井英和の愛娘17歳、衝撃デビュー」と書いてあって……。

赤井さんのファースト写真集『Saki』

――勝手に公表されてしまったと。

赤井 皆さんは普段お仕事をする時、「私の親は誰々です」っていちいち言わないじゃないですか。私もそれと同じ感覚でいたんですけど、発売日に思わぬ形でバーンと出されちゃって。京都の実家まで週刊誌の方々がワーッと取材に来て……。

 

 でも出ちゃったものを否定するのも変なので、世間には「赤井英和の娘」と認識されたまま活動を続けましたね。

――その写真集を発売したあと、お父さまと再会されたそうですね。

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