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アッチッチー♪で攻める

 芸能活動も半世紀を超えましたが、節目と呼ぶべきものは数え切れないほどあります。

 歌で言えば、『お嫁サンバ』(1981年)との出会いは、いろんな意味で衝撃的でした。

 最初はメロディだけで、聴いた瞬間いいなと気に入りました。

 ところが歌詞が上がってきたら、「1・2・3バ 2・2・3バ お嫁 お嫁 お嫁サンバ」……意味がわからない(笑)。20代半ばだった僕は「これはないよ!」と思い、プロデューサーの酒井政利さんに「あの曲にこの詞は違うんじゃないでしょうか?」と抵抗したのです。

 酒井さんから返ってきたのは、こんな言葉でした。

「これを歌えるのは郷さんしかいないんですよ。間違いなく、後世に残る歌になります」

 そう言われてもまだ半信半疑でしたが、無理やり自分を納得させてレコーディングに臨み、世に出たのがあの歌でした。

 お嫁サンバでの経験が後年生きたのが、『GOLDFINGERʼ99』(99年)です。原曲はリッキー・マーティンで、康珍化さんが日本語の詞を書いてくれました。

 その詞に出てくるのが「A CHI CHI A CHI」です。40代前半になっていた僕は「このフレーズは絶対にいい!」と思いました。

 

 お嫁サンバの経験がなければ「アッチッチーはないでしょ」と嫌がっていたかもしれません。でも、お嫁サンバが酒井さんの言ってくれたとおりになり、このフレーズをキャッチーだと思える感性が培われていたのでしょうね。

 詞が上がってきた段階では英語が多めだったのですが、「アッチッチーで攻めましょう」と提案して、英語を間引いた分、このフレーズを増やしてもらいました。この歌は僕が出した105枚のシングルの中でも、屈指のヒットとなりました。

 節目ということでは、これと前後しますが30代の頃、後にバラード3部作と呼ばれるようになる『僕がどんなに君を好きか、君は知らない』(93年)、『言えないよ』(94年)、『逢いたくてしかたない』(95年)と出会えたのも大きかったです。

 当時は歌手として20年が経ち、これからどうしていこうかという時期でした。そんな時に提供されたのが『僕がどんなに……』ですが、時代としてはバラードではなくロック色が強かった。ネガティブに受け止めるなら「今はこの曲じゃないんじゃない?」という判断をしていたかもしれません。

 でも僕はこう解釈したのです。オギャーと生まれた赤ん坊が成人するのと同じ時間をかけて、自分も歌手として成人した。大人のバラードが歌えるようになってきた今だから巡り合えたのだ、と。おかげで、この曲は時代の潮流とは違っていても皆さんに認めてもらえました。そして『言えないよ』『逢いたくてしかたない』と流れが続いたのです。

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