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「日本にはいられなくなるかもしれない」石川県能美市“加賀弁を操るロシア人職員”38歳がウクライナ侵攻に思うこと

岐路に立つ“ロシア交流” #3

2022/05/19

genre : 社会, 国際, 歴史

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 石川県能美(のみ)市が、ロシアのシェレホフ市と深い交流を続けてこられたのには理由がある。

 平成大合併前の旧根上(ねあがり)町長を9期務め、苛烈な戦争を体験した森茂喜さん(1910~89年)が、住民交流による平和の実現を強く求めたからだけではない。在日16年を数える能美市国際交流協会のロシア人職員、ブシマキン・バジムさん(38)が通訳などとして下支えをしてきたからだ。

 ブシマキンさんは加賀弁を操るほど日本語が堪能で、森元町長の研究では右に出る人がいない。現在は森元町長の考えを最も受け継いでいる人でもある。だが、ロシアのウクライナ侵攻で極めて苦しい立場に置かれた。(全3回の3回目/#2から続く

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日本語を学ぶのは「ロマンチスト」

 メディアでは連日、ロシア軍による非道な行為が報じられ、ロシア人に対する見方は一気に冷たくなった。しかも、戦争行為についてはロシア国内だけでなく在日ロシア人の間でも「賛成」「反対」が分かれていて人間関係が悪化している。

「ただただ悲しい」。ブシマキンさんは胸が張り裂けそうになっている。

 ブシマキンさんが生まれ育ったのはロシアのハバロフスク市だ。

 ハバロフスクはシベリアでも極東に位置していて、中国国境に近い。人口は金沢市よりも多く、交通の要衝でもあることから、様々な国の人が住む国際色豊かな都市だ。「日本へも航空便が出ていて、ビジネスが盛んです。日本の領事館も置かれています。市内には日本語ができる人もいて、日本語を教える学校があります」と説明する。

ブシマキンさん。能美市で最も知られた外国人だ。住民によく声を掛けられる

 ブシマキンさんが日本語を習い始めたのは9歳の時だ。「多少日本語ができた」という母の勧めだった。

 ロシアでは「ロマンチストが日本語を学び、リアリストは中国語を学ぶ。簡単にやりたい人は韓国語」と言われるのだそうだ。商圏として大きい中国と商売をするには中国語が必要だ。朝鮮王朝の世宗大王が読み書きをしやすいようにしようと創ったハングルは覚えやすい。

 一方、「日本には独特な伝統文化があり、国民には勤勉で丁寧、礼儀正しいというイメージがあります。ロシア社会とはかなり異なることから、『違う惑星のような気がする』と言われることさえあります」とブシマキンさんは言う。そうした国の言葉を学ぶ人はロマンチストと見られるのかもしれない。

石川県にとって欠かせない人材に

 ブシマキンさんはハバロフスク教育大学の日本語学科を卒業。2006年から金沢大学の大学院に留学して日本文学を専攻した。大江健三郎さんの小説を題材に、旧ソ連ではどう訳されたかの比較研究をして論文を書いた。

「不正に関わる内容、政治に関わること、下品とされる表現は伏せて訳されました。例えば、『立ち小便をした』という部分は、社会主義国ではあまりに原始的で教育的に悪いとされていたので、ロシア語訳の段階で切られています」

 その頃はまだロシアからの留学生が少なかった。ブシマキンさんは2008年頃から、石川県国際交流協会の紹介で、能美市の通訳としてアルバイトをするなど、自治体交流に関わっていく。

 2014年春に大学院を修了すると、能美市の教育委員会へ非常勤職員として招かれた。能美市国際交流協会が設立された2019年からは協会職員として採用された。