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沖縄本土復帰50年「沖縄と本土をつなぐ懸け橋になりたい」と語った『ウルトラマン』脚本家の故・金城哲夫さん

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「ウルトラマン」シリーズの脚本を手掛けた金城哲夫さん(一般社団法人南風原町観光協会提供)

 「ウルトラマン」シリーズの脚本を手掛けた金城哲夫さん(1938~76年)は沖縄出身で、作品の随所に古里への愛が込められている。「沖縄と本土をつなぐ懸け橋になりたい」。生前に語っていた思いは形となり、今も受け継がれている。

 金城さんは沖縄県南風原町出身。少年時代は劇場で沖縄芝居を楽しみ、当時から演劇や脚本に興味を持っていた。9歳下の弟和夫さん(74)は「兄が空想話を作って、近所の子どもたちを楽しませていた」と振り返る。

 東京の大学に進学し、恩師の紹介で「特撮の神様」と呼ばれた円谷英二さん(故人)と出会い、63年に円谷プロダクションに入社。「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」など、シリーズ初期の脚本を手掛けた。25歳で同社の企画文芸室長に就任。企画部門の責任者として、作品の骨格を作り上げた。

沖縄出身の金城哲夫さんが作品の骨格を作り上げた「ウルトラマン」。シリーズ開始から半世紀以上経過しても、多くの人に愛されている

 登場する怪獣の名前からは、沖縄への愛が感じられる。ウルトラセブンに登場したロボット怪獣「キングジョー」は自身の名字「金城」をもじったとされ、和夫さんは「亡き父が酔っ払うと『マイネームイズキングジョー』とよく口にしていた」と懐かしむ。

 金城さんは69年に円谷プロを退職し帰郷。沖縄の歴史や文化を勉強し、「一人豊見城」など沖縄芝居の脚本執筆に励んだ。

 75年に開催された沖縄国際海洋博覧会では、開会式と翌年の閉会式の演出も担当した。和夫さんは「兄は『沖縄を世界へ発信するのに、こんな絶好な機会はない』と意気込んでいた。博覧会の仕事は理想をかなえるためのベストな仕事だったのでは」と振り返る。

 南風原町では、金城さんの当時の書斎を資料館として公開している。県内外から多くの人が訪れ、「すごく影響を受けた」と話す人や、涙を流しながら手を合わせる人もいるという。

 金城さんの生前の活躍を研究する「金城哲夫研究会」代表の佐藤文彦さん(56)は「作品は今でも見ることができる。多くの方に金城さんという人を知ってほしい」と語った。

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