日本のエネルギー企業として初めて「CO2ネット・ゼロ」を掲げ、業界をリードしていくと宣言した東京ガスグループ。脱炭素社会実現のために続けていく挑戦とは何か――『文藝春秋』編集長・新谷学が聞いた。
内田高史氏
東京ガス株式会社 取締役 代表執行役社長 CEO
新谷 学
聞き手●『文藝春秋』編集長
都市ガス事業は大きな挑戦の歴史
新谷 横浜の馬車道通りに日本初のガス灯が灯されたのは、1872(明治5)年。都市ガス事業は文明開化の象徴となりました。今年で150年なんですね。
内田 東京府の瓦斯局長だった渋沢栄一が中心になって弊社を創設してから、137年になります。
新谷 東京ガスの歴史を振り返ると、灯りから燃料へ事業の重点を移し、一般家庭にくまなくガス器具を普及させるなど、大きな挑戦の連続だったことがわかります。特に石油系から液化天然ガス(LNG)への燃料転換は非常に困難だったと伺いました。

1956年生まれ。東京大学卒業後、’79年、東京ガスに入社。総合企画部長、資源事業本部長、副社長を経て、’18年4月より社長に就任。
内田 最も大変だったのは、550万軒近いお客様のお宅を一軒一軒回って、すべてのガス器具を調整する作業でした。供給する熱量を5千キロカロリーから1万1千キロカロリーに上げるのですが、この調整を誤ると不完全燃焼を起こして、火災や中毒の事故に至る恐れがありました。1972年から17年かけて、延べ750万人の社員が関わりました。
新谷 気が遠くなるような作業です。
内田 ガスメーターに保安機能を搭載した「マイコンメーター」も、前例のない挑戦でした。部品の開発と実験を繰り返して、震度五程度以上の揺れや長時間の連続使用を感知したとき、ガスを自動で遮断する安全機能を考案。それを全戸に無償で設置しました。
新谷 公益を重視する渋沢栄一イズムが、脈々と受け継がれているんですね。
内田 エネルギーを安定的に安価に安全に供給し、社会やお客様の暮らしをより豊かにするという考えは、創業以来、受け継がれているDNAです。
新谷 現在直面している「脱炭素化」という課題は、産業革命以来と言っていいほどの大変革です。2019年に発表されたグループの経営ビジョン「Compass2030」の中で、早々に「CO2ネット・ゼロ」を宣言されましたね。日本政府が2050年のカーボンニュートラルと2030年度に温室効果ガス46%削減(2013年度比)と宣言するより前でしたから大胆な決断です。
内田 社内の各部署から、好きなことを言いそうな若手社員を二十数人集めて、「将来、東京ガスはどういう会社になっていたいか」を議論してもらったんです。出てきた答えの一つが「脱炭素を実現している会社になっていたい」。私は正直、半信半疑でした。「脱炭素」を言い切ってしまうのは世の中の流れに乗り過ぎで、「徹底的に低炭素を追求する」とするのが誠実ではないかと。
新谷 そのほうが現実的でしょうね。
内田 しかし「そんな中途半端なことを経営ビジョンで宣言するんですか」「脱炭素を達成できなかったらこの会社は終わりますよ」というのが彼ら全員のメッセージでした。技術陣に話すと、「ハードルは非常に高いけれども不可能ではない」と言われました。そこで、どうせならエネルギー業界全体を引っ張るつもりで、「CO2ネット・ゼロを達成する」ではなく「CO2ネット・ゼロをリードする」としたんです。

新谷 社内にハレーションは起こりませんでしたか。
内田 取締役会でも経営会議でも、できるかどうかわからないことを宣言していいのかという批判が出ました。
新谷 最後は、社長ご自身で決断されたわけですね。
内田 悩みましたが、若者に背中を押された形です。
ネット・ゼロを実現する切り札=メタネーション
新谷 具体的には、どんな取り組みをされるのでしょう。
内田 CO2ネット・ゼロを達成するまでを移行期間と位置付け、エネルギーを安定的に供給し、経済的な負担は大きくせず、環境に優しいエネルギーに切り替えていきます。
新谷 エネルギーミックスの基本となる「S+3E」ですね。つまり、Safety(安全)+Energy Security(安定供給)、Economic Efficiency(経済効率性)、Environment(環境への適合)。
内田 はい。石炭や石油よりCO2排出量の少ないLNGを使い続けながら、「合成メタン」の技術開発を進めます。大気中に放散されたCO2は、なくなるまでに数百年以上かかるといわれます。
新谷 最近「メタネーション」という言葉を耳にします。
内田 CO2と水素を反応させてメタンを作る技術のことです。例えば油田の随伴ガスや排ガスなどからCO2を分離回収し、メタネーションにより合成メタンを作れば、液化設備や運搬船、気化設備等の既存のLNGインフラがそのまま使えます。いま扱っているLNGはメタンですから。

新谷 それが「カーボンニュートラルメタン」ですか。
内田 そうです。メタンを燃やせばまたCO2が出ますが、一度取り込んだCO2を循環させるので「カーボンニュートラルメタン」と呼んでいます。これがネット・ゼロを実現する切り札だと我々は位置づけています。
新谷 現在のフェーズや今後のスケジュール感を教えてください。
内田 2030年には、当社都市ガス販売量の約1%の合成メタン導入を目指すことを宣言しています。2040年代の後半には、すべてを合成メタンに置き換えられるぐらいの社会実装まで進めるべく、現在、フィージビリティスタディや技術実証を進めているところです。
新谷 東京ガスの本気度が伝わってきます。ところで、カーボンプライシングについてはどう捉えていますか。
内田 どの企業も、CO2ネット・ゼロに向けて既に動き出しています。経済産業省から提案されているGXリーグは基本的に企業の自主的な取り組みですし、当社も賛同しています。まずはGXリーグがうまく行くように設計しつつ、カーボンプライシングについては日本全体の経済にどう影響していくか、並行して検討していくべきです。
新谷 ロシアによるウクライナへの侵攻が、エネルギーにも多大な影響を及ぼしていますね。岸田総理は、極東ロシアのガス開発事業「サハリン2」から撤退しないと語りました。御社が輸入しているLNGは、10%がロシア産です。

1964年生まれ。早稲田大学卒業後、文藝春秋に入社。『Number』他を経て2012年『週刊文春』編集長。 ’21年7月より現職。
内田 長期契約しているサハリン2からの調達を止めれば、エネルギーを国内に安定供給できません。LNGと聞くと都市ガスをイメージされるでしょうが、日本のエネルギー企業がサハリン2から年間約600万トン輸入しているうちの四分の三は発電用です。仮に輸入を止めて、その分の電力が止まってしまえば、産業は停止して町はブラックアウトになる可能性があります。
新谷 エネルギー問題は国ごとに事情が違いますから、感情論にばかり流されて判断するのは危ういですね。
内田 どうしても輸入を止めるなら、代わりの電源を用意しなければ。しかし同じ量のLNGを随時契約で買えば、足元のエネルギー価格で計算すると、日本全体で2兆円くらいの国富の流出になります。
新谷 一般家庭のガス代や電気代は既に値上がりしています。さらに上乗せされますか。
内田 ガスや電気の料金は一定の価格以上は転嫁できない決まり。そうなると、エネルギー事業者の経営を圧迫することになります。編集長が言われた通り、感情的に判断するわけにはいかないんですよ。
浮体式洋上風力発電他 再エネ分野でも貢献
新谷 電力は6年前に小売りが全面自由化されて、御社も参入しています。
内田 LNGによる火力発電を行なっています。ガスとセットの契約で割引になるプランが好評で、既に300万軒を超えるお客様に電力を供給しています。
新谷 再生可能エネルギーで言うと、太陽光発電は山手線の内側全部にパネルを敷き詰めてようやく原発一基分だと。
内田 よく使われる譬えですが、その通りです。しかも平地に対する太陽光発電パネル設置面積の割合は、すでに日本が世界一なんです。
新谷 そこで力を入れているのが、「浮体式洋上風力発電」。
内田 そうです。風車を海底に固定する着床式のほうが安定するのですが、日本には遠浅な海域が少なく、沖に向かってすぐに深くなってしまうので、適した場所が限られます。日本で今後、大規模な開発を進めていくとなると浮体式が適しています。この先、メタネーションや水素関連の技術開発に1千億円、実用化されている太陽光や風力発電に6千億円の投資を並行して行ないます。こういう話をしていると必ず、「いつまで東京ガスという社名にこだわるのか」と言われます(笑)。
新谷 国内各地や海外でも展開されていますし、もはやガス事業だけではないですし。
内田 先日、横浜市立の小中学校65校の屋根に太陽光パネルを設置する取り組みを始めました。「東京ガスって、こんな事業もやるの?」と驚いていただいたほうがプラスではないかと。私が社長の間は社名を変えないつもりです。

新谷 4月にグループ経営理念を公表されましたね。
内田 当社グループが大きく変わろうとしている中で、自分たちは何のために存在するのかを共有したく、グループ経営理念を策定しました。天然ガスだけでなく、様々なエネルギーを紡いで、社会を支えていくという思いを込めています。これから私自身が職場を回り、理念の浸透を図っていきます。
新谷 内田社長は、幕末に勘定奉行を務めた川路聖謨(としあきら)を尊敬されているそうですね。それほど有名ではありませんが、全権を担って日露和親条約を結んだ人物です。針の穴を通すような一つ一つの経営判断を伺っていると、川路に感情移入されるのも頷けます。
内田 吉村昭さんの小説『落日の宴』を読んで、惹かれました。他国と条約を結んだ前例がない中で、将来を見据え、どこの港を開き、どんな品物を交換するか、すべて判断したマネジメント力とリーダーシップはすごいです。
新谷 大和魂を振りかざしてロシアやアメリカと戦っても、勝てないという前提に立ち、地に足を着けて国力を高めるべきだという現実主義。あの時代にあれほど聡明な日本人がいたことに感動しますね。
内田 部下から慕われ、ロシア人をも魅了した人格もいい。
新谷 最後にお祝いを。昨年の都市対抗野球で、創部94年目の野球部が悲願の初優勝を遂げられました。
内田 ありがとうございます。プロへ行くような傑出した選手がいない中での総合力の優勝だっただけに価値が増します。私は22代目の社長ですが、初めて東京ドームで胴上げしてもらいました。
新谷 内田社長は川路同様、大きな歴史の転換期に難しい舵取りを担っているんですね。
内田 私どもの社歌は、「歴史を重ねて命もあらたなる われらの夢と望みはるかなり」という出だしです。約50年前にLNGで塗り替えた歴史を、CO2ネット・ゼロで再び塗り替える決意です。

Text: Kenichiro Ishii
Photograph: Miki Fukano
