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 単なる放火ではない。同社で働く社員たちに殺意を抱いていたうえでの犯行と供述したのだ。果たして盗作の事実などあったのか。たったそれだけで悪逆非道の限りを尽くすものなのか。僕にある種の違和感を抱かせたのは、事件直前、騒音を巡って隣室の住人と衝突した際に青葉が「黙れ! うるせえ、殺すぞ。こっち、失うもんねえから!」と吐き捨てていたからだ。自己肯定感の欠如がだだ漏れる、この言葉。作品をパクられた以外に大きな挫折があったに違いない。

 事件に至る青葉の心情を突き詰めようとする報道はなく、被害者を実名で報じるべきか否かの議論が過半を占める。となれば、自ら取材をするしかない。青葉真司とは何者か。何に支配され世間を震撼させる大事件を起こしたのか。

さいたま市内のアパートで家族5人が生活

 埼玉県さいたま市緑区(旧・浦和市)に、青葉が両親と兄、妹の5人で住んでいた木造アパートはあった。古びた外観に、錆びついた手すり。近所には新築一戸建てもあるせいか、どこか異様に見える。生まれたばかりのおよそ40年前、彼はここに住んでいた。

一家5人で暮らしていた、さいたま市緑区のアパート

 家族は青葉が小学校卒業の頃までこのアパートで過ごし、その後、同じ緑区内のアパートに引っ越した。生家よろしく古びた、一家が暮らすには手狭な住まいである。郵便受けには溢れんばかりの郵便物がねじ込まれていた。念のためインターホンを鳴らしてみたが、応答はない。

 周囲を取材して回っていると、まず青葉と同級生の息子を持つ主婦に話を聞くことができた。彼女は、天真爛漫な笑顔に心引かれる、青葉が小学生時代の写真を見せてくれた。

「(大阪拘置所に収監される)ストレッチャーに乗ってるときの、あのギラってした目。あまりにもこの写真とかけ離れてる。だから同一人物とは思えません。この顔見ると、別の世界の出来事が起きちゃったみたいでね、いろんなことが起きすぎちゃったね。なんて人生なの……」

天真爛漫だった小学校低学年の頃の青葉(左)
小学校の卒業文集。6年生の運動会の100メートル競走で1位になったことを誇らしげに記している

 主婦は幼い頃の青葉をよく覚えていた。

「小学校のときは明るい元気な子。うちの子供とも遊び仲間でした。親として、最初の子供に友達ができるってすごく嬉しいじゃないですか。近所に遊ぶ子もいなかったから、それですごく嬉しくて。ここの小学校は学区が細長いんですよね。うちは南のいちばん外れで、長男がまだ友達があんまりできていなかったときで、この端っこの学区まで見たことのない子が遊びに来たので、すごく印象に残っていたんです」

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