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補強しても地震のたびに被災、下りない保険、借金も認められず…2022年福島県沖地震「またひとつ“最後の名店”が消えた日」

福島県沖地震#2

2022/07/16

genre : ニュース, 社会

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 3月16日に起きた福島県沖地震の被災地。最大震度6強を記録した同県相馬市では、シャッターを閉めた店や、崩れたままの建築物が目立ち、極めて深刻な状態だ。

 そうした中には廃業を決め、市民にショックを与えた店もある。

「ひと味違う」と人気があった五十嵐豆腐店。

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歪みで多くの窓が閉まらなくなった旧五十嵐豆腐店

 江戸時代の創業で、店主の五十嵐修一郎さん(72)は6代目だった。

 しかし、店舗が全壊状態になり、再建のメドが立たなかった。この原稿が掲載される頃には、相馬市役所の近くにあった店舗は解体され、更地になっているだろう。同市では最後の豆腐店だった。

解体直前の店舗で五十嵐修一郎さん、よし子さん夫妻

「もし、地震の発生時刻が…」

「もし、地震の発生時刻がずれていたら。そう考えるだけでも恐ろしいですよ」と、五十嵐さんは話す。

 地震が起きたのは3月16日午後11時36分。あと30分もすれば、五十嵐さんが起床する時刻だった。

 毎日午前0時に寝床を出て、自宅裏の店舗へ向かう。ぐらぐらと湯を煮立たせることから作業を始め、朝方には隣の建物の作業場で妻のよし子さん(67)が油揚げ作りに取り掛かっていた。これが夫妻の日課だった。

 ところが、店舗と油揚げの作業場の2棟は大破した。

「店は1階と2階の柱がずれてしまいました。もっと酷かったのは油揚げの作業場です。全体が大きく斜めに傾き、潰れそうに。アルミサッシは折れ曲がったり、吹き飛んだりしてしまいました。もし、あの時に妻がいたら、大ヤケドを負っていたでしょう。助け出せないほどの潰れ方なのに、火事になっていたかもしれません。誰もいない時間でよかった」と、胸を撫で下ろす。

油揚げを作る作業場にしていた建物は解体された(旧五十嵐豆腐店)

 建物は共に築後60年を超えていた。

 倒壊寸前になった油揚げの作業場は、もとは家族が住んでいた建物だ。2011年3月の東日本大震災では「ちょっとやられた」程度だった。それが、2021年2月に震度6強を記録した地震で「隙間ができ、向こうが見えるぐらいになった」。そして今回は「ドサーンとやられてしまいました」と話す。