昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

source : 提携メディア

genre : エンタメ, 歴史, 芸能

そこで小林は、宝塚音楽歌劇学校の校長に就任して、勉強、服装、外出時のマナーなどあらゆる面で少女たちの学校生活を管理し、厳しい風紀を維持した。また、少女たちは、高等女学校の女学生になぞらえられ、そうすることで、従来の温泉芸者や役者とは異なる演技者のステータスを得ることができた。実際、宝塚少女歌劇では、俳優業に要求された鑑札が免除されていた。

「少女たちは職業的な演技者ではなくあくまでも生徒である」という建前は、従来の演技者、とりわけ「女優」との差別化を果たすうえでも重要だった。当時、女優という職業は、スキャンダラスなもの、性的なもの、卑しいものとして蔑まれることが多かった。たとえば、《カチューシャの唄》の女優・松井須磨子は既婚者である島村抱月と恋愛関係にあったためにバッシングに晒されていた。

観客側も「いつまでも女優臭くないように」

女優は、主婦のように家を守る女性とは考えられておらず、社会の規範から逸脱する過剰さをしばしば含んでいたのである。だが、家庭向けを強調する宝塚は、こうした女優のイメージが少女たちに差し向けられることをなんとしても回避する必要があった。

そこで、宝塚の生徒たちは女学生のような良家の出身であり、セックス・アピールを伴わないというイメージを前面に打ち出した。そして小林一三は、退団後の少女たちにも、芸道に生きることを否定しないまでも、基本的には芸術的素養のある家庭の妻となり、母となることを期待した。

観客も、「彼女達は或る人の云ふ如く女優ではありません女生徒であるのです」と受け止めていた(南雛作「彼女達の将来に就て」『歌劇』1919年4月)。生徒に少しでも女優の雰囲気を感じ取ったなら、「篠原サンや高砂サンが将校マントを得意気に着て居られるのは何だか女優臭くつて厭です」と難癖を付け、「是非皆サンは何日迄も何日迄も女優臭くない様にお願します」と念を押すことになったのである(弓子「高声低声」『歌劇』1919年1月)。

z