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77年、運命の夏

「その日、ソ連軍がやってきた」民間人が1000人単位で殺害される中、邦人引き揚げを支えた“ひとりのラガーマン”とは?

2022/08/14

 終戦直後の1945年夏。満洲にソ連軍が侵攻する中、自らの危険を顧みず邦人引き揚げを支えた、ひとりの元ラガーマンがいた――。昭和史を長年取材するルポライター・早坂隆氏が寄稿した。

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 日本ラグビー界において「星名秦(ほしな・しん)」の名は広く知られている。しかし、一般的な知名度は決して高くない。そのギャップは不思議なほど大きい。

 ただし、星名のラガーマンとしての功績を知っている人でも、彼が先の大戦の終結直後、満洲国において大規模な「邦人救出劇」を実現した史実については、ほとんど知らないのではないか。まさに歴史に埋もれた「知られざる救出劇」である。

「伝説のラガーマン」の知られざる背景

 明治37(1904)年5月20日、星名はアメリカのテキサス州ヒューストンで生まれた。命名は「秦の始皇帝」にちなんだものである。

 父親の謙一郎は伊予国吉田(現・愛媛県宇和島市など)の出身。海外に活躍の場を求めた謙一郎は、ハワイやアメリカ本土において牧場経営や米作事業に挑戦。成功を収めた。

 秦が3歳の時、一家は帰国。愛媛県松山市で暮らし始めた。しかし、謙一郎はその後、単身ブラジルに渡って開墾事業などを開始。日本人移民の先駆者の一人となった。ただ、やがて周囲の住民と利害が衝突。謎の凶弾に倒れて客死した。

 そんな父親に似て、星名秦も豪快で行動力のある人物だった。京都一中、第三高等学校(旧制)を経て京都帝国大学の工学部機械科に進んだ星名は、ラグビー部の門を叩いた。

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戦前の「ラグビー強豪校」だった京大

 ラグビーと聞くと「日本で始まったのは戦後」と想像する方も多いであろう。しかし、明治36(1903)年に慶應義塾大学で産声をあげた日本ラグビーは、その後に全国に波及。「ラグビーブーム」と言ってよいほどの人気を集めていた。中でも、大正11(1922)年に創部した京大ラグビー部は、戦前の「強豪校」の一つだった。

 星名は鮮やかなサイドステップを得意とする快足のスリークォーターバックとして活躍。相手のタックルをかわして前に出るそのランニングスキルは、「大学ラグビー界屈指の能力」と称賛された。

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