安倍氏なき後の最重要人事。岸田カラーを出せるか――。月刊「文藝春秋」2022年9月号に掲載された、ジャーナリスト・軽部謙介氏による記事「どうなる? 日銀総裁人事」を一部転載します。
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東京・霞が関の財務省2階。ある幹部の個室に秘書が駆け込んできた。
「大変です。テレビを」
急いでスイッチをいれると、遊説中の安倍に異変が起こったことが報じられていた。7月8日は金曜日。夜の予定を入れている官僚も少なくなかったが、平凡な週末は一変した。
アベノミクスで「大胆な金融政策」を担った日銀
消費税の税率アップを2回先送りしただけでなく、安倍はつい最近まで積極財政派の頭目として財務省の健全財政路線に立ちはだかった人物でもある。その政治家が撃たれ心肺停止状態になっている。今後への影響は小さくないとみられた。しかし、急に対策会議を開くというのも変だ。
「容態の回復を祈りながらも普通に過ごす」という選択をした財務省だが、何人かの官僚はその夜の宴席をキャンセルした。
安倍は「デフレから日本経済を救う」とした経済政策、アベノミクスで、日本銀行を主役に位置づけた。「3本の矢」の1本目、すなわち「大胆な金融政策」である。ただその日、日本橋本石町に堅牢なビルを構える日銀の対応も財務省と同じようなものだった。
事件を知った幹部らは対応を協議。市場の動向に気を配りながら、とりあえず様子を見ることに。同時に「死亡時発表」の総裁コメントが準備された。幹部の間に草稿が回ったのは午後の早い時間だった。
「誠に残念でならない。長期間続いたデフレからの脱却と持続的な経済成長の実現に向けて多大な成果を残した。強力なリーダーシップにより、わが国経済の発展に尽くされたことに心より敬意を表する」
2012年12月の第2次安倍政権発足以降、2%のインフレ目標達成に向けて国債を買い続け肥大化した日銀は、静かにこの政治家の死を迎えた。
安倍氏の死をどう受け止めたか
アベノミクスの舞台で主役を演じた官邸、財務省、日銀だけではない。この経済政策の立案に関与した人々も、突然の事件に呆然とするだけだった。
安倍のアドバイザーとして、第2次政権発足以降は内閣官房参与として、そしてリフレ派の論客として、最後まで安倍を支えたのが本田悦朗だ。8日は東京・千代田区の帝国ホテルで会合中に家人からの電話で異変を知る。「まだ道半ばと言っていたのに、なぜ」と言葉を失った。
米東部コネチカット州サジントンの自宅で一報に接したのはエール大学名誉教授の浜田宏一。安倍の主張に学問的観点から箔をつけた経済学者は、「アメリカで銃を使った暴力はよくあるけど、まさか日本で」。
安倍から「君は霞が関の反社だね」と言われた嘉悦大学教授の高橋洋一は大阪に向かう新幹線の中で事件を知った。反社というのは反社会的勢力のこと。元財務官僚ながら出身母体に楯突く高橋をからかった表現だったのか。安倍の死にこの元官僚は「無念だ」と一言。
関係者はみな一様に事件の衝撃に身を震わせるとともに、安倍が経済政策の中心に据えたこの政策について思いを巡らせた。