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「これ、面白いんじゃないかなあ」希少疾病用医薬品で存在感を発揮する“チームJCR”の社風と研究者魂

文藝春秋創刊100周年記念 トップインタビューVol.10

PR提供: JCRファーマ

世界で初めて「有効成分を脳へ届ける技術」の実用化に成功したJCRファーマ。独自のバイオ技術で拓く未来戦略について、『文藝春秋』編集長・新谷学が詳らかにする。

芦田 信氏
JCRファーマ株式会社
代表取締役会長兼社長

新谷 学
聞き手●『文藝春秋』編集長

躍進の秘訣はオーファンドラッグ 

新谷 この「創刊100周年記念企画」では、各業界のトップランナーや、リスクを恐れない挑戦で成果を挙げている企業のトップにご登場いただいています。JCRファーマは製薬会社として小粒ですが、ピリリと辛いと言いますか(笑)、大きな存在感を発揮されています。

Shin Ashida
1943年生まれ。甲南大学理学部卒業後、'68年、大五栄養化学(現・日本製薬)に入社。'75年9月、日本ケミカルリサーチを設立し、 代表取締役社長に就任。2007年6月より現職。'14年1月、JCRファーマに商号変更。
Shin Ashida
1943年生まれ。甲南大学理学部卒業後、'68年、大五栄養化学(現・日本製薬)に入社。'75年9月、日本ケミカルリサーチを設立し、 代表取締役社長に就任。2007年6月より現職。'14年1月、JCRファーマに商号変更。

芦田 あと3年で創業50年ですが、よくやってこれたなぁと感じます。私が引っ張ってきたわけではなくて、人に恵まれたことが理由です。

新谷 私が注目したのは、いわゆる「オーファンドラッグ(希少疾病用医薬品)」に集中されてきたことです。こうした方向性は、資源の乏しい日本という国や、豊富なリソースをもたない企業にとって、大きなヒントになると思うんです。

芦田 血圧の薬、がんの治療薬などを目指さなかったのは、大手と競争しても勝てないからです。希少疾病に注力すれば生き残れるんじゃないか、という単純な発想ですよ。

新谷 希少疾病というのは、患者が5万人未満の疾患ですよね。患者が多いほうがビジネスとして広がるのに、細いけれど可能性のある道をあえて選ばれた。ライバルはいないかもしれませんが、誰も歩いていない道です。当然リスクもありますよね。

希少疾病用医薬品の研究開発に挑み続けてきたJCRファーマの研究所(神戸ハイテクパーク内)。
希少疾病用医薬品の研究開発に挑み続けてきたJCRファーマの研究所(神戸ハイテクパーク内)。

芦田 はい。我々が特に力を入れているのは、希少疾病の中でも患者さんが少ない「ライソゾーム病」という先天性の代謝異常です。

新谷 ライソゾームというのは、いわば細胞の中のゴミ処理場ですね。そこで酵素がきちんと働けば、タンパク質や脂肪、糖などの老廃物を処理できます。ところが遺伝子の異常によって、酵素が欠損していたり働きが弱いと、ゴミがどんどん溜まってしまい、さまざまな障害を起こす、という理解でよろしいですか。

芦田 その通りです。欠損する酵素の種類によって溜まる老廃物が違うので、ライソゾーム病は50種類くらいの疾患を含みます。その中のひとつが、ムコ多糖という物質が溜まっていろいろな臓器に障害を引き起こす「ムコ多糖症」です。このムコ多糖症にもたくさんの種類があって、脳などの中枢神経に溜まってしまうタイプが最も厄介です。

新谷 脳に溜まると、どういう症状が出るんですか。

芦田 知的な発達の遅れ、行動の異常、睡眠障害、けいれん発作などですが、幼いうちに死んでしまうケースもあるんです。

新谷 治療するには、溜まってしまったゴミの処理に必要な酵素を、脳の中へ届けなければいけません。その方法として、御社が注目したのは「酵素補充療法」。

芦田 静脈への点滴を行うことで、酵素を補うという治療法です。

新谷 ところが脳には「血液脳関門」というバリアがあって、普通の薬剤はシャットアウトされてしまうと聞きました。細菌や化学物質といった不必要な物質が入り込まないように、脳は自分を守っているんですね。

芦田 我々は2009年にグラクソ・スミスクラインという大手製薬会社と資本提携をして、共同で酵素の研究を始めました。でも酵素が脳に届かないのでは意味がないと強く実感することが度々あり、「絶対、脳まで通してやる」と考えた研究者たちがいましてね。

新谷 研究者魂に火がついたわけですか。

芦田 そうなんです。「トランスフェリン」という血漿タンパク質が血液脳関門を通過する仕組みを利用して、そこへ薬剤を乗せる方法を編み出しました。

新谷 それが独自技術の「J-Brain Cargo」ですね。昨年5月に、世界で初めてこの技術を使った新薬が日本で発売されました。

芦田 我々の研究の成果が新たな価値となって患者さんの手元に届いた瞬間です。

新谷 ライソゾーム病の国際学会では「新治療法アワード」を受賞されました。

独自のバイオ技術・細胞治療・再生医療技術を活かして、世界で初めて「有効成分を脳内に届ける技術 J-Brain Cargo」の実用化に成功し、希少疾病の国際学会で「新治療法アワード」を受賞。
独自のバイオ技術・細胞治療・再生医療技術を活かして、世界で初めて「有効成分を脳内に届ける技術 J-Brain Cargo」の実用化に成功し、希少疾病の国際学会で「新治療法アワード」を受賞。

芦田 武田薬品工業と提携を結んで、アメリカとアジアの一部を除く全世界への展開も進めているところです。

新谷 血液脳関門を通過できるJ-Brain Cargoの技術は、脳に薬を届ければ治療できそうな病気に汎用性があるのでは?

芦田 ほかの病気に使えないかという問い合わせは、いろいろ来ております。

新谷 アルツハイマー型の認知症や、パーキンソン病ですよね。こうした病気で苦しんでいる人はたくさんいますから、グローバルで巨大なマーケットです。

芦田 いえ、我々にそこまでの開発能力はないので、この技術をツールとして他社に使っていただけるように話を進めております。我々は小児の希少疾病に注力して、基礎研究段階を含めて17種類のライソゾーム病治療薬を開発中です。

新谷 謙虚ですね。

芦田 いや、気が小さいのかもしれませんが(笑)、実力以上のことはできません。それに、シナジー効果によって一日でも早く治療法を確立できれば、より多くの患者さんに貢献できますからね。

新谷 企業のCSRという観点から見ても、小児の希少疾病に取り組むのは、非常に有意義です。

芦田 確かにやりがいはあるし、大切でもあります。しかし採算度外視といかないところは、少し後ろめたい。

新谷 しかし、儲からなければ投資ができません。薬の研究開発には、莫大なお金と時間がかかるでしょうから。

芦田 自分にそう言い聞かせながら、ここまでやってきました。

ビジネスより面白いかどうかがポイント

Manabu Shintani
1964年生まれ。早稲田大学卒業後、文藝春秋に入社。『Number』他を経て2012年『週刊文春』編集長。 ’21年7月より現職。
Manabu Shintani
1964年生まれ。早稲田大学卒業後、文藝春秋に入社。『Number』他を経て2012年『週刊文春』編集長。 ’21年7月より現職。

新谷 JCRファーマの歩みを振り返ると、芦田会長が日本ケミカルリサーチという社名で創業されたのが、1975(昭和50)年。原点は人の尿だったと伺いました。

芦田 大学を出て入社した大五栄養化学(現・日本製薬)という会社が、脳血栓や心筋梗塞に使う血栓溶解剤を作ることになって、韓国に合弁の工場を建てました。原料となるヒトの新鮮な尿を、大量に集める必要があったからです。

新谷 1トンの尿に30ミリグラムしか含まれない成分を、取り出すためですね。

芦田 はい。日本の尿は他社に押さえられていたので、水洗になっていないトイレを探して、ソウル近辺の学校や軍隊で集めたんです。

 ところが方針変更でプロジェクトが中止になって、韓国側が困ってしまった。担当だった私は、血栓溶解剤を作っていた世界中の企業に売り込みの手紙を書きました。

新谷 勤めていた会社が撤退した事業を続けるために、あえて独立して起業されたんですか。

芦田 そうです。しかし会社を始めて2、3年目から、尿や血液から薬を精製するのは将来的に無理があると感じて、バイオ医薬品への切り替えを考えました。そのうち動物由来のプリオン病(BSEなど)が流行して、ヒトから成分を採った薬剤には許可が下りなくなりました。

新谷 先見性をもって、事業を進めて来られたんですね。

芦田 先見性というか、私の場合は面白いかどうか。

新谷 おお、「面白い」。

芦田 もう79歳ですけど、いまでも「これ、面白いんじゃないかなあ」と思うことをやっています。ビジネスを考えすぎるとお金儲けになりますから、興味が失せます。

離職率1.1%が示す
JCRの誇れる企業文化

新谷 私が驚いたのは、社員の離職率の低さです。2021年度は、わずか1.1%。

芦田 上場企業には利益をステークホルダーに還元する必要がありますが、私の考えとしては、社員への還元が重要です。平均給与を1000万円にしようと頑張ってきて、いま887万円まで上がりました。

新谷 言葉で評価することも大事ですが、お金はわかりやすい尺度です。

芦田 大手企業でも、60歳になると給料が減りますよね。我が社はそうならないように、能力があればどんどん仕事ができる体制を取っています。

新谷 社員同士が、お互いにサポートし合える雰囲気だと伺いました。

芦田 起きた失敗を咎めるのではなく、二度と繰り返さないことに重きを置いています。失敗は仕方ないので、受け入れます。しかし、誰のせいかと掘り下げていって、不都合な報告を上げなくなる組織になるのが怖い。

新谷 あらゆる組織に通じるお話です。最近は減点主義で、何かミスがあると個人の責任を追及する傾向が強くなっています。我々の仕事もそうですが、それだと現場がリスクを恐れて挑戦しなくなってしまいます。

芦田 最終的には、経営者の責任ですからね。

新谷 そうした社風は、芦田会長が日頃から「チームJCR」とおっしゃっている薫陶の賜物ですか。

芦田 人数が増えると、研究所や各工場や営業拠点がプロフェッショナルの塊になってきます。横の関係をどう作っていったらいいのか、常に考えています。

新谷 組織が大きくなると、どうしても縦割りになりますね。現場の一人一人に、会社が目指す方向や理念を染み込ませていくことが大切です。

芦田 社員が800人近くになったので、顔も名前もわからなくなってきました。役員や部長とはじかに話をしますが、下の人たちにどうやって我々の考えを伝えていくか、試行錯誤していますよ。

新谷 社員の皆さんとコミュニケーションを取るために、食事会やワインの会を開いたり、バレンタインのプレゼントも欠かさないと聞きます。

芦田 コロナ前までは、社員をグループごとに分けて、社内の食堂にケータリングをしてもらって、立食のランチをやっていました。

新谷 最後に、JCRファーマが目指す未来像を聞かせてください。

芦田 企業は永続性が重要です。いま30歳の社員が50歳になったとき、生き生きと仕事ができるためにはどうしたらいいのか、考えておかなければいけません。

 さまざまな疾患で苦しむ患者さんのために、「アンメット・メディカルニーズ(いまだ満たされていない医療上の需要)」に応える画期的な新薬の創製に挑戦して欲しいし、やはり小児向けのオーファンドラッグ中心で行ってほしい。さらに、「チームJCR」の企業文化も残してほしいと考えています。


Text: Kenichiro Ishii
Photograph: Keiji Ishikawa