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「僕は元気でやってます」自ら巨人を退団した山下航汰が、社会人野球で苦しみながらつかんだ光

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/09/13
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 午後3時を過ぎたばかりというのに、大田スタジアムの照明灯に光が灯った。空は鉛のような厚い雲に覆われ、今にも雨がこぼれ落ちてきそうな気配がする。

 その男はベンチにいた。

 山下航汰、22歳。三菱重工Eastの背番号25をつけた外野手である。水分補給する選手のためにジャグを用意し、攻守交代時には出場選手の帽子やグラブを受け渡しに走る。5回終了時にはレーキを手に、係員のグラウンド整備を手伝った。

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©菊地選手

 この日は社会人日本選手権の関東代表決定戦だった。試合は3対1で三菱重工Eastが明治安田生命を破った。最後まで出番は訪れないままだったが、マウンド付近で歓喜に湧く輪の中に山下の姿があった。

「先輩たちのほうが僕より実力が上なので。この試合で僕にできることは何かな? と考えて動いただけです」

 献身的に裏方に徹する、社会人野球の若手選手。そうとらえれば何も不自然さはない。だが、山下は昨年まで巨人に所属した元プロ野球選手である。しかも、高卒1年目に2軍で首位打者を獲得してしまうようなホープだった。

 山下が今季から社会人野球でプレーしていることは、多くの野球ファンが知っていることだろう。だが、社会人の公式戦に山下がほとんど出場できていない事実を知る者は少ないかもしれない。

©菊地選手

名打撃コーチが「吉田正尚みたい」と評した天才

 かつて巨人や広島で打撃コーチを務めた内田順三さんは、山下についてこう語っていた。

「バッティングに関しては、今まで見てきたなかでもトップクラスです。大きな始動ではないのに、パンチ力を出せて広角に強い打球が打てる。オリックスの吉田正尚みたいなタイプでした」

 内田さんは打撃コーチとして、鈴木誠也や岡本和真の育成に携わっている。そんな名伯楽にそこまで言わしめる天才的な打撃力を山下は持っていた。

 だが、巨人入団時の山下は支配下登録選手ではなく、育成選手だった。守備面の不安や上背がない(身長174センチ)ことが低評価につながったと見られる。

「這い上がって、見返してやろう」と反骨心を燃やした山下は、1年目のキャンプから猛アピールを見せる。支配下の同期を押しのけ、すぐに3軍から2軍に昇格した。7月には支配下登録され、9月には1軍でプロ初安打をマークした。2軍では打率.332を記録。高卒ルーキーが2軍で首位打者になった例は、1992年のイチロー(鈴木一朗)以来だった。

 だが、順風満帆に見えた山下の野球人生は、ここから暗転する。2020年5月、山下は打撃練習中に右手の痛みを訴える。検査の結果、右手有鉤骨(ゆうこうこつ)の骨折が判明した。

「バットを振る時に右手の手のひらにグリップが当たるんですけど、ボールがバットに当たった時の衝撃で折れてしまったんです」

 手術、リハビリを経て8月には復帰したが、山下の右手には違和感が残り続けた。今までの自分の体とは思えない。脳から指令を出しているのに、そのイメージ通りに動いてくれない。焦燥感を募らせる山下に追い打ちをかけるように、右腕の筋力が弱った影響で右ヒジまで痛めてしまった。

 痛みをこらえ、かばううちにフォームはどんどん崩れていく。山下本人は「これが自分の実力」と言い訳がましい言葉は口にしないが、本来の感覚はすっかり失われていた。2年目のシーズン終了後、山下は再び育成選手に戻ることになった。

 3年目に入ると、山下は自分の立場が変わっていくことを痛感する。身長200センチの期待のルーキー・秋広優人が優先的に起用され、山下は2軍と3軍を行ったり来たり。山下は1年目の自分がいかに恵まれていたかを悟った。

「自分で考え、自分で練習して、自分の力だけで結果を残せたと思っていました。でも、実際は結果の出なかった春先も2軍監督だった高田誠さんやコーチ陣が僕を使ってくれたから、プロのボールになじめたんです。そのありがたみに僕は気づいていなかった」

 そして山下は、吐き捨てるように「アホですよね」と自虐的に笑った。

 打撃の感覚は一向に戻らなかった。山下の理想のスイングとは、「ひと振りで正確に芯でとらえる」というもの。だが、自分が脳内で描くイメージと実際の動きが噛み合わない。「なんでや」と焦れば焦るほど、地獄へと足をからめとられていった。前に進めないまま、プロ3年目が終わった。

 ここで山下は、「環境を変えたい」という思いを固める。巨人に不満があったわけではない。このままでは自分の野球人生が終わってしまう焦りがあった。

 山下の退団が報じられた時期、若手OBが「他球団に行くべきだと彼に伝えた」とSNSで発信し、インターネット上で野球ファンから批判を浴びることもあった。だが、山下はきっぱりと断言した。

「誰かに言われたから退団を決めたのではありません。もちろん、NPBの球団からオファーがないことも想像して、自分で決めたことです。僕の人生なんですから」

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