三菱・三井・住友の財閥系商社に戦いを挑み、万年4位だった伊藤忠をトップに押し上げた名経営者・岡藤正広会長CEO。近江商人をルーツにもつ「商い」の哲学に、『文藝春秋』編集長が迫る。
岡藤正広氏
伊藤忠商事代表取締役会長CEO
新谷 学
聞き手●『文藝春秋』編集長
財閥系に追いつけ、追い越せ!
新谷 まさにこの新年号で、『文藝春秋』は創刊100周年を迎えました。
岡藤 僕は高校3年のときから、ずっと愛読しています。百年の半分以上ですね。
新谷 ありがとうございます。伊藤忠は創業165年ですか。総合商社の中でも、財閥系の三菱商事・三井物産・住友商事とは、成り立ちが異なりますね。

1949年12月、大阪府生まれ。'74年に東京大学経済学部を卒業し、伊藤忠商事に入社。ブランドビジネスを導入することで、繊維部門を伊藤忠の中核事業に育てた。2006年代表専務取締役、’09年代表取締役副社長を経て、'10年に代表取締役社長。'18年4月から現職。
岡藤 ひと言で言うと、政商と行商の違いです。財閥系は、明治政府と組んで大きな産業を拡大し、巨万の富を築きました。我々の創業者・伊藤忠兵衛は近江商人で、15歳のときに麻布を天秤棒で担いで売り歩いたのが始まりです。胸を借りる意味で、財閥系に追いつけ追い越せという目標を立ててきました。
新谷 ついに2021年3月期決算で、最終利益、株価、時価総額のいずれも3社を上回る「商社三冠」を達成しました。
岡藤 僕が1974年に入社して以来、万年4位でしたから、感慨深いものがあります。
新谷 岡藤さんは2010年に社長に就任され、2018年から会長です。業績を上げ続けてきた秘訣を教えてください。
岡藤 社長になったとき、経営の柱をふたつ立てたんです。第一は「生産性を上げる」。
新谷 商社といえば夜中まで残業しているイメージですけど、フレックスタイム制を廃止して、朝型勤務を導入されました。
岡藤 経験から言っても、深夜残業は効率が上がりません。残業する人間は、要領が悪いんです。しかし残業代が生活費の一部になっている場合もあるので、午後8時以降の残業を原則廃止にする代わり、朝5時から9時の勤務には残業代の1.5倍払うことにしました。朝食の無料提供も始めました。
新谷 いまでは約3分の2の社員が朝8時より前に出社していると聞いて、驚きました。
岡藤 特に喜んだのが、小さな子どものいる社員です。朝7時に出社して、本社の隣りに作った託児所に子どもを預けて仕事を始められます。
すると、3時半には気兼ねなく帰れるでしょう。子どもを連れて買い物してから帰宅して、家族で一緒に夕食を取れるわけです。

新谷 おかげで急上昇したのが、女性社員の出生率ですね。
岡藤 2012年は0.6だったんですが、2021年は1.97になりました。東京都は1.08で、日本全体でも1.3ですから。
新谷 朝型勤務と託児所の併設という伊藤忠モデルを、国も少子化対策に取り入れるべきでしょう。社員を大事にする点で言うと、がん予防に力を入れ、闘病には最先端の治療を保証しています。
コロナ禍のなかで、本社のエントランスに300本の桜を運んできて新入社員を迎えたのも、岡藤さんのアイデアだと聞きました。
岡藤 4月1日に満開になるよう、調整してもらいました。一生に一度ですから、記念に残る入社式にしてあげようという親心です。新入社員も親御さんも、いい会社やなと思ってくれるんじゃないですか。

新谷 「社員にとって一番の会社になることが大事だ」というお言葉がありました。シンプルですが、なかなかできないことです。
岡藤 伊藤忠は、五大商社で最も社員が少ないんです。だから「人の2倍働けば、1.5倍払う」と言っています。2倍働いてもらって2倍払ったら、会社はたまらへんからね(笑)。伊藤忠は給料でも、商社で一番になりましたよ。
“非資源”でナンバーワンを目指す
新谷 就職人気企業ランキングでもトップに挙げられていますね。
社長に就任されたときに打ち出した経営の柱。その二つめは何ですか。
岡藤 「非資源でナンバーワンを目指す」。社員のモチベーションを上げるには、目標の設定も大事です。高い目標はいつまでも達成できないので、敗北感と挫折感しか残らず、諦めに至ります。かといって、努力しなくても達成できるような目標では、意味がありません。背伸びをすれば届く目標設定がマネジメントにとって大事ですから、いろいろ考えました。
新谷 その結果は?
岡藤 まず「生活消費関連分野で一番になろう」ということでした。従来からの強みである繊維、食料、住生活だけなら、伊藤忠はいいところ行っとったんです。これは達成できたので、次は機械や情報・金融を合わせて、「非資源でナンバーワン」を目標に掲げたわけです。
新谷 資源やエネルギー分野の比重が大きい財閥系商社と対抗するのに、とてもわかりやすいメッセージですね。
岡藤 働き方改革と、社員のやる気を起こすこと。両方を同時にやらないと、労働生産性は上がりません。社員一人当たりの純利益は、2010年度に3700万円だったんですが、2021年は1億9700万円になりました。
新谷 岡藤会長は海外駐在の経験もなく、基本的に大阪で繊維の仕事一筋でした。「伝説の繊維マン」の異名を取ったとはいえ、社長に就任されたときは、お手並み拝見というプレッシャーが強かったでしょうね。
岡藤 繊維では、ある程度の利益を上げて社長賞を7回貰いました。しかし企画部門といった中枢に所属したことがないので、一度は打診を断わりました。翌年はもう仕方なくて、腹を括ったんです。

1964年生まれ。早稲田大学卒業後、文藝春秋に入社。『Number』他を経て2012年『週刊文春』編集長。 ’21年7月より現職。
新谷 当時の経営者は、岡藤さんに何を期待されたんでしょうか。
岡藤 そのとき会長だった丹羽宇一郎さんの本に、「金の匂いがする人間」という言葉があります。稼ぐことで実績を上げてきた人間こそ、商社のトップにふさわしいという意味です。
この点は、僕もそう思います。成功体験のない経営者は指示を下すことができないし、伊藤忠では天秤棒を担がれんヤツはあきまへん(笑)。
新谷 私は、名経営者はもれなく名コピーライターだと思っているんです。岡藤会長も、目指す会社のあり方や経営理念を言葉に落とし込んで、現場へ浸透させていくのがお上手です。
たとえば、「利は川下にあり」。川上の供給者サイドから川下の消費者サイドに、ビジネスの主導権が移っているという意味ですね。
岡藤 しょうもないコピーやけどね(笑)。伊藤忠の繊維事業は、羊毛など原料の輸入が中心だったんですが、僕が入って川下をやり始めたんです。つまり、スーツの生地にイヴ・サンローランやピエール・カルダンのブランドをつけて売ったり、ジョルジオ・アルマーニの独占輸入販売権を取得したりして稼ぎました。
新谷 会社で作りたい商品や作れる商品が基準の「プロダクトアウト」ではなく、市場や顧客が必要とする商品を提供する「マーケットイン」が大事だということですね。
「か・け・ふ」というコピーも印象的ですが、社長就任時に考えたものですか。
岡藤 経営のことがわからないから不安で仕方なくて、五大商社の決算書を並べて見とったんです。気付いたのは、伊藤忠は粗利が2番なのに最終利益が4番だということ。なぜかというと、経費と特別損失が多いためです。そこで考えた標語です。
商売ですから、まずは「稼ぐ」。次に経費を抑える。つまり「削る」。それから特損を抑える。これは「防ぐ」だから「か・け・ふ」。社内では、「大阪出身やから阪神ファンで『掛布』なんやな」と言われましたけど(笑)、そんな薄っぺらい語呂合わせとは違います。
新谷 しかし言うは易しで、実行は難しくありませんか。
岡藤 基本は大括りにすることです。たとえば人を減らすリストラより先に、赤字を垂れ流す子会社を整理する。グループで約270社ありますが、全体の黒字化比率が90%以上の商社は、伊藤忠だけですよ。
新谷 会議や書類の削減にも熱心ですね。
岡藤 僕は、会議と書類が大嫌いだから。トップというのは、ちょっと仕事がないと不安になるんです。それで「ナントカ戦略会議しよか」言うてね、開けばやった気になりよる。しかし現場は、やりかけの仕事を置いて、会議で映す紙芝居を作らされる。こんな無駄はないので、会議はほとんどやりません。
「三方よし」をグループの企業理念に

新谷 「売り手によし、買い手によし、世間によし」という近江商人の哲学「三方よし」も大事にされていて、2020年からグループの企業理念に採用されました。
岡藤 会社には株主だけでなく、従業員とその家族もいます。取引先の中には、伊藤忠が取引を止めたら潰れてしまう会社もあります。ステークホルダーを大切にするのはまさに三方よしだし、SDGsも言い換えれば「三方よし資本主義」でしょう。
新谷 不安定な経営環境の中で、これから伊藤忠の進む方向をお聞かせください。
岡藤 総合商社は特別な技術などを持っているわけではありませんから、次はこの分野で生きていくと自ら決めるタイミングが難しい。日本のマーケットがどう変わっていくか見誤らんようにしながら、「ここは伊藤忠でも出て行けるな」とか、「ここは伸びるけども、伊藤忠では行かれへんで」と判断しなければいけません。
総合商社である限り「選択と集中」は通用しません。手広くやっておかないと、情報が入ってこなくなるからです。
新谷 米中対立の激化で、中国ビジネスのリスクが懸念されています。
岡藤 中国人の富裕層でも、自国の将来に不安を抱いている人もいますね。しかし、我々が出資しているCITIC(中信)は優良国営企業だし、生活消費関連が中心の伊藤忠には、中国政府も国民も好意的です。
新谷 岡藤イズムがこれだけ浸透すると、ますます後継者選びが難しいと思うのですが、いかがですか。
岡藤 指名委員会などの合議制で後継者を決めるやり方は、ダメですね。連帯責任というのは無責任ですから。トップがこいつやと決めて、失敗したら、決めた人間が責任を取ることです。
経営は駅伝レースだ、と僕は思うんです。ただし、調子が悪ければ半分で代わってもいいし、調子がよければ二区間走ってもいい。頑張れるうちは頑張って、できるだけリードを広げてから襷を繋ぎたいと思っています。

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Text: Kenichiro Ishii
Photograph: Miki Fukano
