『君の名は。』『天気の子』の大ヒットで、日本を代表するアニメーション監督のひとりになった新海誠。彼の最新作『すずめの戸締まり』が11月11日に封切られ、公開初日から3日間の興行収入は前述した2作以上の好成績を記録。多くの観客のもとに届けられている。
新海誠の作品を初期から観つづけてきたライターの相田冬二は、本作を「新海誠による、新海誠の【卒業式】と言えるかもしれない」と評する。さらに、新海誠の最初期の作品『彼女と彼女の猫』のモノローグに、『すずめの戸締まり』の本質を突いたフレーズがあったという──。
「僕も、それから、たぶん、彼女も、この世界のことを好きなんだと思う」
“わかりやすさ”という魔法で老若男女を惹きつけた『君の名は。』
数はさほど多くないだろうが、『君の名は。』(2016年)以降の作品に違和感を覚えている新海誠ファンもいることだろう。
お気に入りの作家がブレイクを果たすと、置いていかれたような気がして、古くからのファンは寂しくなってしまう。これはアニメーションや映画に限らず、どんな分野でも起こることだし、こうした(ありふれた)喪失感こそが新海誠的、と言えるかもしれない。
それは、他人から見れば小さな寂しさに映るかもしれないが、本人はそれなりに傷ついている。いや、これは、かなりの喪失感の場合だってある。
なにしろ、新海誠は【傷の匂い】を描いてきたアニメーション監督なのだから。
『君の名は。』で何が起きたか。アニメーションとしてのフォーミュラが強化されたことが第一に挙げられる。アニメーションとして、というより、作品として、と言っていいかもしれない。
フォーミュラ、すなわち方式や定型がクリアだと、不特定多数の観客が安心して乗り込むことができる。アミューズメントパークと同じである。
明快なルール(らしきもの)が軌道として設定されていることが共有できると、映画にせよ、ゲームにせよ、多くの人々が集うことになる。これがいわゆる、わかりやすさ、という魔法だ。