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5カ月の男児を絞殺、妻と義母はハンマーで撲殺…20代男性に「家族皆殺し」を決意させた義母のひと言

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genre : ニュース, 社会

2010年3月、宮崎市で一家3人が殺される「宮崎家族3人殺害事件」が起きた。加害者の男性は、一緒に住む妻と義母、それに生後5カ月の長男を殺害。自ら通報して逮捕された。男性は犯行を認めており、2014年に最高裁で死刑判決が確定している。加害者家族に話を聞き、『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)を書いた阿部恭子さんは「加害者は日常的に義母から暴力を受けており、家族のなかでも弱い立場にあった」という――。(第1回)

※本稿は、阿部恭子『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/nemke ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/nemke

「宮崎で事件があったって……。5カ月の男の子がおらんらしい」

拘置所の面会室。夫婦は並んで座り、刑務官に連れられ入ってくる息子を待っていた。福岡拘置所まで車で片道2時間。それでも親子に与えられる面会時間は20分足らず。アクリル板に遮られ、目の前に置かれた息子の手を握ることさえ許されない。こうして面会することが許されるのは、あと何度なのか……。

息子が塀の中で生活するようになってもはや10年以上が過ぎ、最近は、「最後の日」を意識するようになった。もう一度会えますように……、いつも、そう願いながら手を振って別れる。2人の長男・奥本章寛(当時20代)は、2014年10月16日に死刑が確定した死刑囚である。

「その子はおまえの子どもではあるけれども、おまえのお腹を借りてこの世に生まれただけだ。その後は、この子の人生だ」

章寛の母・奥本和代(当時50代)は、事件が起きて以来、実父に言われた言葉を思い出すようになった。「何を言っているんだろう。男の人は感覚が違うのかしら? 『私の子』でしょ」

妊娠した当時、そう言われた和代は首をかしげながらお腹をさすっていた。しかし、父親の言う通り、息子は想像もできなかった人生を歩み始めていた。かつて身体の一部だった我が子とは、塀の中と外に分断されていた。息子は、たとえ血のつながった親子でも越えることのできない、高い壁の向こうに行ってしまったのだ。