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日本の裁判員制度が開始されたのは、2009年5月である。章寛の裁判は、裁判員裁判が開始された直後であった。弁護人も経験がなく、戦略が立てられなかった様子がうかがえる。

「3人やけん、仕方ない……、そう言われたこともあります」

章寛に下される判決を、奥本家の人々が覚悟していなかったわけではない。それでも、議論が尽くされた裁判であったかといえば、悔いが残る部分は否定できない。章寛は取り調べにおいて、納得のいかない調書に署名捺印してしまったことを後悔していた。殺害の事実に違いはないが、動機は違うと思っても訂正を求めることができなかった。

「もっと自由に生きたいという理由で3人を殺害してしまった」と、前述した手紙にも書かれているが、何かを求める積極的な理由ではなく、苦痛から解放されたかったというのが章寛の心境に即した表現ではないかと思われる。

さらに手紙には、「警察官の人たちもみんないい人でみんなとても優しかった。俺の取調官の人は、とてもいい人やったよ。俺を笑わせたりもしてくれた。取り調べ中の合間にいろんな雑談もしてくれた。いい人たちやった」とも書かれていた。家族の中でずっと非人間的に扱われてきた章寛にとって、ひとりの人間として対応してくれる警察官は、すがるべき対象だったのだろう。

ところが、この「自由に生きたかった」という表現は、身勝手かつ凶悪な犯行を裏付けることになってしまった。

夫婦ともに浮気を認めており、関係性は冷めきっていた

章寛は、結婚後もマッチングアプリをよく利用しており、知り合った女性と性的関係を持つことがあった。犯行直後もパチンコ店に立ち寄った後、マッチングアプリを利用していた。事件現場の取材からは、章寛が暮らす家に男性が出入りしていたという近所の証言も出ていた。

章寛が出張中、2人ともそれぞれ浮気をしたことも認めており、関係は冷めきっていたようである。検察は、こうした行動を根拠として、自由な生活を送るために義母の存在が邪魔だったことを犯行動機と主張していた。