宮崎駿監督はなぜ世界で高い評価を得たのか。ジャーナリストの数土直志さんは「『千と千尋の神隠し』(2001年)が国際映画祭で評価され、知名度を一気に高めた。善悪の明確な対立がないなど、ディズニー映画とはまったく違うアニメの存在に、欧米の映画人は驚いた」という――。(第2回)
※本稿は、数土直志『日本のアニメ監督はいかにして世界へ打って出たのか?』(星海社新書)の一部を再編集したものです。
もともとは監督を目指してはいなかった宮崎駿
宮崎駿は、なぜ世界でもこれほどまで有名なアニメ監督になったのだろう。いまでこそ誰でも知る巨匠だが、もちろんキャリアのスタートから世界や日本でも広く知られていたわけではない。
そもそも制作会社入社時の役職はアニメーターで、当初は演出・監督を目指していなかった。他にも多くいたアニメの絵を描くのが好きなアニメーターのひとりだった。
鈴木敏夫がいなければ『ナウシカ』はなかった
宮崎駿の名前が知られ、作家性が注目されるのは『風の谷のナウシカ』以降だ。しかし『ナウシカ』の映画制作も順調だったわけではない。
80年代は漫画原作がなく、当たるかわからないオリジナルの劇場アニメ企画を通すのはハードルが高かったからだ。そこで当時アニメ雑誌『アニメージュ』(徳間書店)の編集者で後にスタジオジブリをともに立ち上げる鈴木敏夫は、そうであれば原作から作ればいいと『アニメージュ』での漫画連載を強く勧めたのだった。それが『風の谷のナウシカ』で、宮崎駿にとっての初の長編漫画である。
1984年に劇場公開した『風の谷のナウシカ』は、こうしてまずアニメ雑誌の連載漫画から始まった。既存の原作はなく、世界観、物語は全て宮崎駿の頭の中から生まれている。
舞台は遥か未来の地球、「火の七日間」と呼ばれる最終戦争により地球は荒廃した大陸と腐海と呼ばれる瘴気(しょうき)を発する菌類の森に覆い尽くされる。高度な文明を失った人類はそうした環境で暮らし、もはや滅亡を待つばかり。その中でも争いを繰り返す人々の前に現れた少女・ナウシカが世界を変えていく。壮大なストーリーだ。