最初の周辺調査を除けば、私たちがどうあがいてもできない調査を、警察はすでにやってのけていたわけである。
警察は記者以上の「取材」を尽くしていた
宮部みゆきの小説『火車』には、休職中の刑事が警察手帳が使えずに調査で苦労する話が出てくるが、やはり警察だからこそ調べられることが世の中には数多くある。裁判所から令状を取得した強制捜査はもちろんのこと、任意でも「捜査関係事項照会」という刑事訴訟法上の手続きを使えば、さまざまな情報を取得できる。それによほどの事情がない限り、警察から何か尋ねられて答えを拒む人は、そうそういないだろう。
一方、報道機関としての名刺はあっても実質的には何の権限もない記者は、役所に住民登録の有無さえ聞き出すことはできないし、銀行に照会をかけることもできない。歯についてはおそらく遺体の歯から治療痕が見つかり、治療履歴を徹底的に調べて歯医者にたどり着いたのだろうが、そんな芸当も警察にしかできないだろう。記者風情ができる範囲で調べ直していまさら何がわかるのかと、投げやりな気持ちにもなってくる。
なお、労災年金支給を示す、尼崎労働基準監督署発行の年金証書も残されており、年金手帳と同じ名前と生年月日が記されていた。「平成6年(1994年)12月15日」、「労災補償保険法によって給付決定を証す」とある。警察の捜査ではその後、年金支給を自ら打ち切ったことが判明。それにもかかわらず金庫に残されていた現金が多額であったため、警察署内では女性が工作員ではないかとの声が上がったという。
大家も「田中千津子」さんなのか知らない
その後、今度は家庭裁判所の中でも調査官という調査専門の役職が、大家から女性について聞き取りをしたが、ほとんど手がかりは得られなかった。40年間の店子について、契約書類からわかる以上の証言は得られず、亡くなった女性が「田中千津子」さんなのかすら知らないというのだ。
当時の賃貸借契約書は、茶封筒に入っている状態で見つかった。書面は縦書きで、1980年代の文書の割には幾分、古めかしい印象だった。アパートは「文化住宅」と表現され、1カ月の家賃が2万2000円となっている(当時)。