東欧のボスニア・ヘルツェゴビナに「レイプ・ホテル」と呼ばれる温泉施設がある。ボスニア紛争(1992~95年)では、この施設でボスニア人女性約200人が性暴力を受け、虐殺された。だが、ホテルは当時の建物のまま営業を続けている。毎日新聞の三木幸治記者の著書『迷える東欧 ウクライナの民が向かった国々』(毎日新聞出版)から、現場ルポをお届けする――。
「まるで奴隷だった」ボスニアに残る戦争の爪痕
「セルビア兵に息子を殺され、私は性的暴行を受けて、強制労働までさせられた。そのうえ大金を払う? あり得ない」。東部トゥズラ近郊に住むセムカ・アジッチさん(64)は、声を荒らげた。
加害者を有罪に追い込むだけでは、「復讐(ふくしゅう)」は終わらない。精神的な苦痛を受けた代償として、慰謝料を支払ってもらう必要がある。多くの被害女性はそう考えている。だが、ボスニアでは驚くべきことが起きた。司法が、女性たちの「復讐」を阻(はば)んだのだ。
ボシュニャク人のセムカさんは北部の小さな村に住んでいた1993年、セルビア人兵士に自宅を襲撃された。捕虜収容所に連行され、兵士に何度もレイプされたという。当時19歳の息子は、セムカさんが連行されている間にいなくなり、遺体で見つかった。殺害された理由は今も不明だ。
収容所から解放され、自宅に戻っても、悲劇は終わらなかった。毎朝、セルビア兵はセムカさんらをトラックに乗せて連行し、強制労働に駆り出した。多くの場合、セルビア人有力者の農地で、農作業に従事させられたという。
「まるで奴隷だった」。セムカさんは振り返る。セムカさんの加害者は紛争後、当局に訴追され、懲役3年の有罪判決を受けた。セムカさんは2013年、弁護士の力を借りて、加害者に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
司法が阻んだ、女性たちの「復讐」
だが1年後、予想外のことが起きた。ボスニア・ヘルツェゴビナの憲法裁判所が、「加害者への損害賠償には時効があり、犯罪が起きてから5年以内に訴訟を提起しなければならない」とする決定を出したのだ。