合宿先での取材といえば、海外へもあちこち行きましたね。スイスのサンモリッツ、アメリカのボルダー、ニュージーランドのクライストチャーチ、中国の昆明や麗江……。もちろん交通費や滞在費等の取材費は自前ですから大変さもありましたが、現地では監督たちも「こんな遠くまでよく来てくれたね」と快く受けいれてくださり、歓迎してくれました。監督たちの懐の深さのお陰ですね。私にとっては旅も兼ねていて、今では懐かしい思い出になっています。
取材ノートに書き続けていること
私は「こまかすぎる解説者」と言われることに、恐縮しつつも少し恥ずかしい気もしています。とりたてて努力しているわけではなく、ただその人に興味があって、もっと知りたいという好奇心がそうさせているだけだからです。
取材ノートに、現場で出会った選手たちの練習ぶりや日々の生活の様子、監督や家族から聞いたエピソードなど、何でも綴ってきました。
「マラソンにはまぐれがない」という言葉があります。良い結果は、完璧に練習をこなしたときにしか出ないといわれる厳しい競技。さらにレース当日の天気やコースのコンディションによっても記録の伸びが左右され、最後まで何が起きるかわからない。それだけにレースを観る人にとっては、42.195キロが人生のドラマと重なり合うのかもしれません。
この取材ノートには、自分の支えになる言葉も書き留めています。新聞を読んでいて「これだ!」と思った言葉、出会った人から聞いて心に残る言葉などを、ノートの後ろのページにメモしていたのが始まりで、一冊のノートの後半は「言葉ノート」になっています。
「誰かの靴を履く」という言葉もメモしてありますし、松任谷由実さんの言葉も書いてあります。ユーミンは、ある賞の贈呈式での挨拶で、こう語っていたのです。
「私の名前は消えても、歌だけが詠み人知らずとして残るのが理想だ」と。そんな気持ちで仕事をするのは素晴らしいことだと、感じ入りました。