東出が語った「昨今の週刊誌報道の風潮としましては…」
今回のトラブルは、その“作家性”を脅かしかねないものだ。東出にも、このトラブルを知っていたか、またトラブルについてどう考えるかを問うたところ、「(トラブルについては)存じ上げませんでした」としたうえで、長文の回答を寄せた。
《先ず、五藤さん、荒井さん、監督、プロデューサー陣での対話が必要だと思います。この映画に携わった全ての人が「良い映画を作りたい」と考え、共同作業に励みました。師弟関係にある五藤さんの台本を「より良いものにしたい」と筆を取られた荒井さんの意地と責任感もあったでしょうし、その台本を読んだ監督が「ここをこう直してくれ」と荒井さんに注文し「お前は何もわかっていない」と監督と荒井さんが喧嘩をした事もありました。
現場では「この時代、中国ではなく支那と言うんじゃないでしょうか」と俳優部から指摘があり、プロデューサーの裁量で「じゃあ支那に変えよう」と台詞の変更が行われた事もありました。人と人が仕事をする限り、ましてや時間の無い映画の制作過程に於いて、意見の食い違いや軋轢が生まれたまま企画が進行していくこともあり得ます。照明のセッティングをする時間がない時に、演出部と撮影部が「このまま撮ろう」と言い出し「じゃあ俺の名前をクレジットから外してくれ!」と叫んだ照明部の堀口さんも、公開翌日の舞台挨拶後に、皆で楽しく酒宴を囲みました》
対話を重ねながら一つの作品を作り上げていく撮影現場の様子を語った後、東出はこう締めくくった。
《昨今の週刊誌報道の風潮としましては、訴えの声を上げた片一方の主張だけを取り上げ、訴えられた荒井さんや監督、プロデューサー陣を日本映画界に蔓延る旧態依然の巨悪のように喧伝される可能性が高いのではないかと思います。週刊誌を問題提起の発露にするのではなく、個々人の対話が優先されるべきだと思いますし、ジャーナリズムは中立性を保ったまま、双方の立場と意見を客観的に書くべきだと思います。善悪二元論だけで語れるほど、多くの人々が携わる物作りの現場は単純ではありません》
五藤氏が訴訟に踏み切った切実な思い
五藤氏は記者からの質問状に対し、以下のコメントを寄せた。
「この一年間、辛い思いを抱え、自分がどうすればいいのか悩んだ結果、リスクがあるのを承知の上で訴訟に踏み切るしかありませんでした。この先、この業界で仕事を続けていくことに困難がつきまとうかも知れません。実際、脚本を依頼されたものの、訴訟の件を伝えると断られました。
このまま泣き寝入りすることも何度も考えました。しかし自分が受けた扱いを思い出すたびに苦しくなりました。何よりも、この状況を受け入れることは、彼らが行った不当な行為を許すことになるような気がしました。
私は他からの収入があったから、まだマシな方なのかもしれません。そうでなければ、納得のいかない改変に対して声も上げられず、低い脚本料を受け取るしかなかったでしょう」
製作陣と東出をはじめとする俳優、スタッフ。誰もがよい作品を作ることを目標に映画製作に携わったことは間違いないだろう。それは、現在訴訟の準備をしている五藤氏も同じなのだ。
文藝春秋が提供する有料記事は「Yahoo!ニュース」「週刊文春デジタル」「LINE NEWS」でお読みいただけます。
※アカウントの登録や購入についてのご質問は、各サイトのお問い合わせ窓口にご連絡ください。