だから、学校にきてくれたほうがいい。たとえ、教室に入れなかったとしても。
その後、香織さんは、約2週に一度のカウンセリングに通ってきた。話す内容は学校でのことや、小学生のころに感じた友達とのことだった。
「友達の家に行ったとき、その子とお母さんがすごく仲良しだったんです。その子は、お母さんと一緒に買い物に行ったり、お揃いの物を買ったりするって言ってました。へー、そうなんだと思って不思議でした。私は、そんなことなかったんで。そのあとから、なんかその子のことを羨ましくなってしまって、あんまり遊ばなくなっちゃったんです」
「『お母さん』って、あんな感じなのかな……」
香織さんに限らず、自分の家庭とほかの家庭の違いを認識できるようになるのは、大体は小学生の低学年くらいからである。それまでは、ほかの家庭も自分の家庭と同じだと思っている。しかし、同年代の子供との関わりが増え、ほかの家庭の様子も目にするようになり、自分の家庭と比較できるようになると、そこで自分の家庭との違いを感じる。
やがて思春期年齢のころになると、ほかの家庭と自分の家庭との差をはっきりと言葉にして自覚できるようになる。そうしたなかで、香織さんのような境遇の子らは、抱えている生きづらさが家庭環境と関係があるのではないのかと徐々に気づきはじめることもある。
現に、香織さんは気づきはじめているようだった。その証拠に、こう話したことがあった。
「高畑先生は、すごく話を聞いてくれる。先生の娘さんは、いいなと思った。先生も怒ることはあるし、怒ると怖い。だけど、心配してくれているから怒るんだと思う。怒るっていうか、叱ってくれるっていうか。先生は、娘さんが学校から帰ってくると、学校でなにがあったとか、お友達とはどうしたとか、そういうのを話すって言ってた。
『お母さん』って、あんな感じなのかな……」
血だらけで「轢かれた」と訴える娘に母親は…
ここまで紹介してきた事例は、いずれもとても静かで、穏やかで、一見しただけではわかりにくい情緒的ネグレクトというものだった。衣食住、必要な医療や教育も最低限は提供されている。だから、目に見える形で家庭のなかの異常があきらかになることは、ほとんどない。