ローマ皇帝から異教徒の宗教施設や神殿を破壊する許可を得たアレクサンドリアのキリスト教徒らは、70万巻ともいわれた貴重な書物を所蔵する図書館にも襲いかかった。異教徒による学問自体が異端という考えだった。ヒュパティアをはじめとする学者たちが必死に持ち出して隠した巻き物はわずかで、何世紀もの知の積み重ねは灰燼(かいじん)に帰してしまう。人々が次々にキリスト教へ改宗したのは言うまでもない。
「魔女」といわれた彼女の最後
だがヒュパティアは改宗しなかった。ギリシャ系の彼女は多神教徒であり、且(か)つまたキリスト教の教える「奇蹟」を否定し、あくまで学問は科学的であるべしとの信念を曲げなかった。アレクサンドリアの知識層を代表し、がらんどうになった図書館でなお研究を続ける彼女のこうした態度はキリスト教過激派の憎しみの的となり、415年、ついに惨劇が起こる。
ギボンの『ローマ帝国衰亡史』によれば、ヒュパティアの最期(さいご)はこうだったという――「魔女」と見なされた彼女は総司教キュリロスたちに拉致され、教会へ連れ込まれ、裸にされた後、牡蠣(かき)の貝殻で生きたまま皮膚と肉を削(そ)がれて息絶えた。遺体はその後ばらばらにされ、見世物にされてから、市門の外で焼かれた。
教会堂の中でなぜヒュパティアが裸なのか、なぜ悲痛な表情なのか、なぜ床に着衣が散乱し、大きな燭台の一部が倒壊しているかがわかるだろう。彼女はこれから自分にふりかかることを予期し、恐怖を抑えるかのように胸のところで右手を強く握りしめる。
その一方で左腕を天へ向かって伸ばし、暴徒らに理性を訴えている。アレクサンドリアという都市の成り立ちと学問の自由も思い出させようとしているのかもしれない。
だが、排他的な宗教が世俗の権力と結びついた時どれほど残虐になりうるかを、我々現代人は嫌というほど歴史から教わっている。狂信的な相手には何を言っても通じないのだ。女だろうと子どもだろうと、彼らは容赦しない。皮剝(は)ぎ刑という身の毛もよだつ行為。ヒュパティアの絶望の深さが観る者の胸を抉(えぐ)る。